推敲

 最近困った事がある
 以前はまったく抵抗なく行えた
 というより楽しくて仕方なかった
 言葉をねりなおす、という作業が
 難しい

 吐き棄てた如き言葉は
 自分のなかからふっと沸いてきただけあって
 気持ちいいほどに気持ちよく
 小気味が良かったり
 美しかったりする言葉であるのだが

 それを紙の上で弄るほど
 どんどんのっぺりしたツマラナイ
 結局的な
 筆記の為だけの言葉になってしまう

 時折推敲の意義を見失いそうになる――

 この位の詩だけを
 すなわち口語体の自由詩を
 かいてやるだけならまだいいが

 問題は、短歌と俳句というヤツだ――

 とりわけ俳句というもの 手におえない
 練ってはいけない
 ひたすら感情を押し殺して
 それでいて読み捨てるが如き
 話すためのようですらある言葉でなくば
 それには言霊など宿らない

 だからこそ不安になる
 推敲をしている瞬間が、文章を練り直す
 その瞬間が

 もしや己のちっぽけな自負たる文の才を
 自ら潰してしまおうとしているのも
 自身ですらないのかと



※そんなわけで、アナログ時と比較しまったく推敲かかってなし。
 手書きで書くときさえ、思いつくまま書いたまま。
 ……まあ、これのほかにもそんな詩はないわけでないけど。
 手元に一筆箋と筆ペンなんてあったら短歌・俳句詠みたくなるのは当然の真理、ってことで……

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