第四章『結末』
「仲いーんだよなぁ、姉ちゃんたち」
少年は、冷やかす様にキョウとセツランの語らう様子を見て、謂う。
じっくり見てみると、其の黒髪は周りのものよりも艶がいい。
唯単に其れは若さに起因するものなのか、あるいは其れだけちゃっかりと栄養が取れて居る証拠なのか。
セツランは少し困った様な、恥ずかしそうな表情をしたが、キョウの方は一切変化が無い。
恐らく其の発言の意図を理解出来ていないのだろう。
といったって、どうせキョウの顔は其のフードのせいでほとんど口元しか見えない。
そんな訳だから、笑うという表情意外、余り変化が読み取れない。そして、其れはキョウが最も苦手とする表情であり、感情表現だ。
なんだかバカらしくなって、少年は、代わりに少し気になった事を聞いてみた。
「しかし、ホント変な剣だよなぁ……最初、鋼の鞘に入ってるのかと想ったら刀身自体が真っ黒なの、なのに妙にきらきらしてて、そんで抜き身じゃ危ないかと想ったらそこら辺の雑草さえ切れないなまくらだモンな」
唯単に、其れが目に入ったという其れだけの事。其れだけの事が、質問の理由。
「切れないからこそ総てのものが切れる」
キョウの回答には、余り期待していない。いや、間違って居る訳ではないし、とても的確な回答が帰ってくる。
唯――的確すぎるのだ。
相手に合わせて其の内容を変えたり、解説を付け加えたりする話法の技術をキョウは知らない。
「ええっとね、『破壊術士』って知ってる?」
そんなキョウと少年の会話を見かねて、苦笑する様にセツランが少年に問うた。多分、其処から説明せねばなるまい。
「何でも出来る魔術士。きらわれもん」
くす、と一つセツランが笑う。なんとなく、キョウがどんな説明をしたか想像が付いたからだ。
確かにあながち間違いでは無い。だが、根本的な部分を解説していない。
おまけに少年の方も少年の方で、自己流に噛み砕いた言葉でしか理解していない。結局こんな救いようの無い定義が出来て居る。
「そう、基本的に他の魔術よりはるかに制限が少ない、コレはね、破壊術士が他の術者と違って『否定』の力を根源にするからなの」
其処が、一番大切な点。だから、其れは他の術者と一線を画す。
「『否定』の……力?」
少年は、其のまま問い返す。
そう、其れが真理。でも此れだけでは、意味が判らない。
「そう。たとえばね……此の剣には刀身はそもそも無いの」
と、キョウの黒金の剣を指さしてセツランは謂う。
喩えを使う。仮定を使う。其れは物事を説明する際の、あまりに基本的な『技術』。
「ちゃんとあるじゃん。夜ならともかく」
眼を凝らし、一瞬悩み、少年はそう返す。憮然とした表情だ。
「其れは『見えない』だけ。尤も、『見える事』を『在る事』と定義するならば、其れでもいいわね」
少し微笑んで説明する。そう、『在る事』の定義は難しい。
「其れは少し違うのでは無いか」
キョウが反論する。表情の変化は矢張り判らない。
「其れは多分、貴方にとっては『感じ取れる事』が『在る事』だからだと想う。とにかく其処から出発するのよ。総てはそもそも存在しない。あるいは、『しなかった』かしらね」
理論的に術の構築や其の仕組みを解説するのは、此れでも得意分野だ。
白魔術以外の術でも、其の理論ならば熟知して居る。
「むっつかしーな……」
頭を抱えだす少年に、再びセツランは笑った。
でも、自分とて同じ。知識としてはなんとなく理解して居るだけで実践はしない訳だから。
「一朝一夕に理解出来る様な理論じゃないわ。此の術が編み出された当時は、今の比でなく受け入れられなかった術だしね」
そう、其れははるかに昔。其れでも神話のまだ残る頃。あるいは、『彼女』が最後の神話とも言えるかもしれない。
「此の世で最初の破壊術士はかの大魔道士」
もしかしたらキョウも似た様な事を考えていたのかもしれない。
あるいはもしかしたら以前から似た様な流れを汲む魔術はあったかもしれない。
あったかもしれないが、きちんと体系を完成させたのは、彼女の功績である。
「えっとなんだっけ、られ」
固有名詞を一応其れでも聞いた事が在るには在るのだろう。
しかし、滅多に無い発音を、よく覚えていない。
「ラレビル・フォ・メアード様の事?」
術士ならば聞いた事の無いものは居ない名を、セツランは問うた。
異国に住んで居た経験は、こういうところで役立つ。
「そう、其の長い名前の人」
想わず苦笑する。昔の魔術士の名は長い。
「ああ、彼女の本名はもっと長いわよ……。昔の術士は意味の在る名前をいくつも繋げて謂ったから」
「ねーちゃん、詳しいね」
キョウが魔術に詳しいのはわかる。破壊術士だし、其の風貌がなんとなく総てを納得させてしまう。
「異国に住んでた事が在るの。魔術も薬草学もそこで習ったわ」
齢にして十二、三いや、もしかしたら十前後くらいにしか見えない少女が、そんな経験を持って居る事を多少訝しんだようだが、其れでも納得したらしい。
ゆったりとした時間。
キョウでさえ、薄く笑って居るようにさえ見えた。
そして。
其の均衡は……一瞬にして崩れた。
「どうした」
けれど。
其の少年はぐったりとして動かなくなった。
数瞬のあと、彼が見せた瞳は。其れは明らかに少年の瞳ではなかった。
闇色の、しかし狂気めいた瞳。
そして……明らかに誰かに操られて居る者の瞳。
殺せ、と謂うのか。
確かに、彼は明確なる殺意を持って自分達へと向かってきた。
けれど、キョウは。
「……」
小さく。言葉を口に含み。
そして彼の動きが静止する。
「キョウ……?」
セツランが、怒気さえ篭った声で問う。
感情のまともに働いていないキョウの事、こんな事態では……
此の少年を、殺しかねない。
そう、判断したのだ。
「死んでは居ない。其の場凌ぎだ」
其れが証拠に、彼は再び眼を見開いた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「『駒』を散らばらせて正解だったな」
此の少年ならばまず出しえない、冷たい口調。
『駒』。
確かにそういった。
ならば、此の少年は、そもそもが『存在』しないものなのか。
あるいは、何かの方法で『憑依』のような事をして居るのだろうか。
しかし、考える隙を与えず。
「いったはずだ、『北へ来い』と……」
少年、いや、少年の操り主は、不遜な口調で告げる。
其の科白は、どこかできいた。
そうだ、オウカが告げた科白だ。
あれはオウカがあの場所で待って居るという指示ではなかったのか。
「コウキョウがホウリンのシュンジュに掛ったらそちらへ向かえ」
一息に。『彼』は二人にそう告げる。
オウカにそう言わしめた主か。ならば……まさか、此のものがディースとか謂うものだろうか。
いや、其れはない。彼は能力授受の主、ならば此の世に既に居ないはずだ。
「何を謂って……!」
セツランが叫ぶように謂うが、そう告げたきり、少年の身体は再び動かなくなる。
一応確かめてみる。大丈夫、まだ息が在る。
『気』を込めてみれば、また再び目覚めるかもしれない。何事もなかったかのように。
「紅鏡が徨森の蠢樹に掛ったらそちらへ向かえ」
キョウが、『彼』が謂った其のままのとおりの言葉を繰り返す。
ただしこちらは、其の意図がわかったようだ。
紅鏡は紅く染まった月をさす言葉。善流の国の独自の言葉と想われて居るが、実際には魔術士がかつて好んで使った言葉だ。
「ホウリン、は『徨いの森』の事ね……。蠢樹って?」
そう、確かそう呼ばれる場所が在った。此処からそう遠くない場所の森。
しかし、あと一つの言葉がわからない。うごめく、樹? 其れに。
「けれど、そちらの方向に向かうだけなら別に月の出る時刻なんて指定しなくても」
そう。場所の指定は其れを告げずともよい。もう少し詳しく特定するために謂った事だろうか?
けれど……たぶん、見つけられる。
漠然として居る。けれど、確固として居る。矛盾した自信が、セツランの中に在った。
「樹というのは移動するものだろう。齢を重ねたものほど」
少しだけ、キョウの感情、いや、思考の動きが読めるようになってきた。
此れは、『疑問』のときの発言に近い。
「え?」
独特の感性だ。ただし、其れは在る一地域においては一般常識でさえ在る。
ただ、実際に魔力を帯びるほどに齢を重ねた樹は、其の地を移動し、人間を惑わす。
樹には、精霊が、宿るのだ。
ふぅ、とひとつ、セツランは溜め息をつく。いやに、大人びた動作だった。
「また、北へ向かえってコトね」
キョウは、何も謂わずに、いや、謂えずに其れを見つめて居る。
「……逃れられないか。己の『運命』からは」
其れは聞こえるか否かの小さな独白だったが、キョウは聞き漏らさなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『それ』は想ったよりも、森の入り口付近に在った。
他者の侵入を拒むという点では確かに森の最奥に据えるに限る。
しかし、オウカのようなものを置いて居たり、あるいは。
そう、彼の謂う『駒』を置くには、人里に近い方が都合がよかったのだろう。
半球を其のままかぶせたような形の建物。いや、建築物と其れが呼べるのかどうかはわからない。
つよい呪力が取り巻いてるせいで、其れがなにでできて居るのか、『建って居る』のにしても、材質は不明。
だから、入り口を探すのに、少々手間取った。
二手に分かれて、一周しようとしたところで、『それ』は勝手に口を開けた。
どうやら、此処の主が呼んでくれたようである。もっとも、歓迎されて居るかどうかは不明である。
踏み込んだ先で、二人は『闇』を見た。
漆黒。
何よりも適切な表現は、其れだ。
闇。
総ての光を、許容しない。
そうとしか表現の仕様の無い部屋、いや、空間。
其の床に描かれて居るのは、大きな魔方陣。
中央に佇む、一つの人影。
いや……?
『それ』が本当に『人』で在るのか否かは妖しい処だ。
其の者は此の部屋と同じ、漆黒を身に纏って居た。
瞳に移る色は、此れよりも深い闇。
どんなに強い光も、此の闇には太刀打ち出来なかろう。
「ラウ・フォ・ディース」
小さく。
矢張り、抑揚の無い声で。
キョウが彼に向かい、謂う。
「操り主はお前か」
続ける。
謂われた方の、表情の変化は読み取れない。
眉をぴくりと動かす位はしたかもしれないが、キョウには其の意図がわからない。
セツランのほうもセツランのほうで、ちょうど、何かを謂おうとしたような状態のまま固まってしまって居る。
「貴方方が来るのを待って居た」
闇の主は、二人にそういった。
ディースと呼ばれる事を、否定はしなかった。肯定もしなかったが。
「でも、ディースはオウカに能力授受をしたはず、じゃあ……」
困惑。
其れに近い表情を、セツランは浮かべて居る。
肝心の、闇に鎮座する主は、薄く笑みを浮かべて居た。
「其の者の在るや無しやは詮無い事だ」
闇の主が口を開く度に、背筋を、冷たいものが走るような感覚を味わった。
今の季節はなんだったろうか、と、わけもなく考える。
六花が舞うような季節では、けしてなかったはずなのだが。
「わたしは其の子に用が在るだけだ」
セツランのほうをじっと見つめ。
ディースは呟く。
闇の中に潜む、闇の主。
キョウもディースも黒をまとって居るものだから、声でしかお互いの位置を確認できない。
「貴女がどなたかは、なんとなくだが想像がつく」
先ほど、セツランとは違う声が聞こえてきたほうに向かい、ディースは告げる。
「お前の予想は外れているかもしれないぞ」
今、二人ともが立って居るというのなら、キョウの背は意外に高い。
六尺近く、在るだろうか。
「けれど貴女は『森』の使者だろう?」
ディースにそう謂われ、キョウの方は言いよどむ。肯定、の意図だった。
「わたしには其れで十分だ。邪魔立てするなら貴女も殺す」
想わず、身構える。剣として使えるはずもないのに、黒金の剣に手を伸ばす。
其れでも、術を唱えるときの精神的な支えになる。
「さて……」
指線をずらす。気配でだけ、其の動作がわかる。
じっと。セツランはディースを見据えて居る。
決断したらしい。口元が動く。何がしかの術を唱える。
抵抗するのか、と最初は想った。例えば、自分の前に防御壁を張るとか、彼に向けて攻撃的な術を打ち込むとか。
しかし、セツランのいったのは、予想に反する行動だった。
「うん、やっと見やすくなった」
然も在りなん、とでも謂うように、セツランは満足そうに己の術の効果を自讃する。
術を放った事に変わりはない。そして、そんな単純な術ほど、キョウには苦手だった事も、また事実。
けれど、キョウには其れを行う事が思いつきもしなかった。
ディースにとっても、其れが自然だから、考えが及ばなかったのだろう。
人間が行う行為としては、あながち間違いでない。むしろ、とても自然な行為だ。
ただ、今此の状況が非常事態で在る事をのぞけば、の話だ。
「灯り……」
想わず、キョウが呟く。セツランが唱えたのは、此の闇の中に灯りをともすための術。
「おもしろい」
ふざけるなとでも、叫びだすかと想ったが。
ディースのほうもディースのほうで、苦笑に近い、笑みを漏らした。
「やはりそうだ。わたしの求める者」
じっと、セツランのほうを見据え。笑みさえこぼす。愛しいものを迎え入れるほどの、偽善的な笑みを。
動く様子はなかった。術を唱える様子さえ。
『!!』
しかし、二人は硬直する。確かに、其の術は効果を発動して居た。
そうか、光を作った事で、かえって『影』を操る術を使わせてしまったのか。
理屈も構成もわからないが、今目の前でそんな場面が展開されて居るせいで、其の術の効果だけはわかる。
影縛り。
動こうとして、キョウも自分が動けない事に気付いた。
どうしたものか。指の一本でさえ動かない。唇は動くだろうか。
考えたところで、ふと気付く。運動神経は麻痺して居ても、感覚神経は機能して居る。
此の手が触れて居るものは、なんだった?
そうだ、幸い、黒金の剣の柄に、其の手を置いて居る。
息をする。深い深呼吸。『森』の中で行えるなら、どれほど心地いいだろう。
呼吸までもは奪われていない。思考までもは奪われていない。
そう、わたしに使えるのは……此の『術』しかない。
目を閉じる。フードのせいで、其の動作は誰にも見られない。
――影はない。結界もない。わたしを縛るものは何もない。
「!」
声が、出たかどうかは自分でもわからない。
「結界を……解いた?」
此れには、ディースのほうも驚いたらしい。
「破壊術士の前では、あらゆる術の効力は無意味」
黒金の剣の柄を握り締めたまま、キョウは呟く。
ディースのほうも、キョウが握り締めて居る物体がなんであるかに気付いたらしい。
此の闇の中でさえ、眩い金のような光を放つ、黒。
「そう……運命とは不思議なものだ。其の剣の新たな持ち主が貴女とは……」
ただでさえ此の闇の中で黒髪黒目、しっかりとは見えないが、薄明かりの中覗く其の顔は、見た目には、気の弱そうな青年にしか見えない。
「キョウ、やめて!」
セツランが叫ぶ。そう、キョウに此れ以上、『術』を使わせるわけにはいかない。
たとえ己の能力が不完全であったとしても。
「気付いて居るのに、止められなかったね」
ディースが嘯くように謂った言葉に対し、セツランは、黙って居た。黙って、耐えた。
自分の放った術の効果を解こうかどうか逡巡して――
「灯りを消す必要はない」
敵自身がそう告げる。
しかし、安堵するにはまだ早い。
「何度でも、似たような術をお掛けしますよ?」
現に、彼はキョウに向けて、そう告げた。
「構わない」
キョウの表情の変化はわからない。
いや……?
何かが先程と決定的に違う。
そうだ、薄明かりだが、其れでも其れは、血だとわかった。
キョウは、口元から血を流して居た。咳き込むような動作も音も聞こえなかった。胃からだろうか。
しかし、口の中を切っただけ、と謂うようにはいかなさそうだ。
其れはキョウ自身が、霞む視界と鈍痛のせいで気付いて居た。
「人里に降りて、長い時間がたちすぎたね。ただでさえ空気はよどんで居るのに」
そう、確かに其れは感じて居た。だから、此の地に着くのもこんなにも遅れてしまった。
「貴方は、とても純粋な『森』の住人のようだ」
キョウはやはり答えない。口の中にたまった血を、唾を吐く要領で吐き捨て。
「私は『構わない』と謂った」
そう、毅然として告げた。
深呼吸。
距離はない。彼は居ない。
歪んだ想いも存在しない。
そう、自分も彼も、そんな想いは抱いていない。
「唯でさえ人里で暮らして、穢れた肉体で、破壊術士としての力を使う、だなんて無謀だ」
ディースは……むしろ驚愕して居た。
破壊術士が忌み嫌われるもう一つの理由。其の力は強すぎる。其の力の源は危険すぎる。
破壊術士は、其の肉体を、削りながら術を操るようなもの。
――なぜ、そんなにも平然として居られる?
「もう一度謂う。私は其れでも構わない。そして」
目を閉じる。息を吸う。
術を掛けろ。己自身に。己の運命に。
苦痛はない。痛覚は断たれた。
感情的な痛みなら、はなからわたしは感じない。
「そして、私に使えるのは此の術だけだ」
言い放つ。
結界はない。
四百年という人には長すぎる時間さえ。其処には、存在していない。
再び、剣の柄に手を掛ける。
術の構成は、既に編みあがった。あとは、発動するだけだ。
「何を――!」
セツランが叫ぶが、間に合わない。
其れでも指先と口元が動く。一瞬で、此の術の素性を読み取って、其の効果を、そして術者への負担を半減させるための術を編む。
「総ては存在して居ない」
きっぱりと。キョウが言い放つ。毅然と、とさえ形容できるほどの事だった。
そう、破壊術士の術は其処から始まる。そして……其れは、唱えてはならない言葉。
「ふ……総てを其れに掛けたか」
ディースは、此の闇の主は……
笑って、居た。
「四百年……ずっと、ずっと待って居た」
ふ、とディースが呟く、わかって居た。
こんな結末が、何れ訪れるであろう事くらい。
其れでも。
其れでも、望んで居た。願って居た。
「貴方が振り向いてくださる事を、わたしが貴方の力になれる事を」
其の呟きが、二人に聞き取れたか否かは不明である。
そう、そして、其れは終ぞ叶わなかった――
「ナルス・テス……」
柔らかに。
愛しいものの名を呼ぶほどに、厳かでさえ在るように。
ディースはそう、最後の言葉を言い放った。
「終わった……総てが……」
疲れたように。
彼が呟いた。
ことり、と何かが落ちる音がする。
最初は、骨かと想った。人の身が骨になるほどの術であっても不思議はない。
しかし、違った。
「人形……」
木製の、小さな人形。其れが其処に在った。
何がしかの文字が彫られて居るようにも見えるが、よく読めない。
そう、彼自身が術だった。
「人の身を模したものか。人形だから能力授受をしても滅びる事なく四百年近い長き時間を生きたか」
キョウが呟く。
刀身の長い其の剣を杖代わりにして、ようやっと立てて居るといったところだ。
「四百年……」
セツランが想わず呟く。
いや、正確には生きたなどとは謂いがたい。幻として人に姿を見せ、意識のみの存在として外界へ向かう事はできても。
違う。其れは本質的に違う。
人の血肉も持たず、此の場に繋ぎ止められたままだったのだ、彼は。
(だが、できるかも知れぬな。人は想いに縛られるもの)
そう、生きて居る事其れ自体が束縛。
此れを、叫びだしたい気分、というのかと、キョウは冷静に分析して居た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そして、総てが終わった其の地で、
キョウは、セツランに向かい。
傅くように、跪く。
「キョウ?」
怪訝そうに、セツランが名を呼ぶ。
「私にはまだすべき事が残って居る――」
瞳は、未だ隠されて居るはずなのに。
「貴女様を探しておりました。ラレビル・フォ・メアード様」
何故か、哀しげな目をして居るのだと想った。
けれど。
セツランは、静かに笑って。
「……いつから、わかって居ました?」
キョウに、そう問い掛けた。
そう、己の名。
もう二度と、此の名で誰かから呼ばれる事など無いと想って居た。
想いかけて居た。
其れを、望んで居た。
けれど、其れもまた無意味な事。所詮は、逃れられぬもの。
「最初からです。『術』の構成の構築の仕方が明らかに古き時代のものだった」
そう、最初から総ては運命付けられて居た。
こうなるように。
どれだけの歳月が過ぎようとも。
己の犯した過ちは消えぬのだから。
だから。
『彼女』は静かに。
長い長い、或は溜息であったのかも知れない吐息を吐き出し。
「そう……。加えて謂えば、一見初歩の術に見えるけど、あれだけの構成を描けるのはわたしほどの高位術者でなければ、まず無理でしょうね」
そして、彼女は軽く苦笑して。続けた。彼女にとって、其の指摘は驚愕を与えうるものではなかった。
「けれど、私も貴方に謂っておく事が在ります。キョウ――謂え、わが永遠の友、エルタン・ドゥナ・セーヴル!」
と謂って。
彼女はばさりとキョウのフードを跳ね上げる。
そう、エルタンは自分が唯一心を開いた友。
彼女にだけは。
彼女にだけは、一つの隠し事も出来なかった。
美しく、清らで、何処か儚気な、『森の覇者』で在るはずのエルフ――
けれど。
「――! そん、な……」
想わず。
己の口から、言葉が漏れる。
眼光は――正しく『彼女』のものに瓜二つだった。
しかし。
尖った耳も。
今は完全に見える色白の肌も。
確かに、エルフ族の証であったが。
――違う。
明らかに。
キョウは『彼女』では無かった。
「いいえ、私は確かに『エルタン・ドゥナ・セーヴル』……。彼女は私の母親です」
いつもの、抑揚の無い声。
感情の表現方法を良くは知らないのだろう、何処かぎこちない笑み。
「じゃあ、貴方はエルタンの」
想わず。
セツラン、いや、『ラレビル・フォ・メアード』が言葉を漏らす。
蒼色の髪。
血の色をした瞳。
そして……其の額には。
縦に見開かれた、第三の瞳。
――邪眼。
確かに。
今目の前に居るのは、『エルタン・ドゥナ・セーヴル』に於いて他ならぬのだろう。
其の総て。
『能力授受』を受けた者にしか現れぬ特徴である。
「貴方にお仕えするのが私の使命。其れだけが我が母の望み」
と謂って。
キョウは、魔術士が主に向かって絶対なる忠誠を誓う印を切る。
「キョウ――其の印を切った以上、私は貴方の主として命令します……今すぐに! 其の誓いを撤回なさい!」
取り乱してすら居るように。
彼女は、叫ぶように言葉を紡いだ。
キョウは、ゆっくりと立ち上がって。
慈しむように。
其の柔らかな少女の身体を抱きしめる。
愛おしさ、と謂ったものが決してないわけではない。
寧ろ、狂おしいほどである。
「……セツラン……」
「――!」
敢えて。
キョウは彼女を其の名で呼んだ。
彼女は、涙を流してすら居るようで。
『運命』とは。
『運命』とはこう謂ったものなのか。
しかし。
キョウは、己の腰に下げた剣に、手を延ばして居た。
そう。
『それ』こそが。
『それ』こそが、彼女が自分に望んだ事。
黒き刃は確実に。
其の命を絶とうと。
そんな、明確なる意思を持って。
向かって居た。抱き合った二人の身体へと。
(終われる。此れでやっと)
此の人生も。
『彼女』の望みも。
そして、自分の愛した此の少女への想いも。
感情が欠落して居る割に、安らかな笑顔を浮かべて居たように想う。
今、キョウに在るのはそんな安堵の気持ちであった。
そして。
此の者達に『死』と謂う名の『結末』がやって来たか否かは。
今となっては、既に……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そう、此れは新たなる旧き伝説。
『運命と謂う名の逸話』。