おくにことば。

 方言というものがむかし、たいそう嫌いだった気がする
 別に意味がまったくわからないわけではないが
 微妙な意味合いの違いなんてその土地の人にしかわからないのだろうし
 自分にはそんな言葉操れないし
 だから
 なんだかまるでのけ者にされたような疎外感を覚えたのだ

 父の田舎は九州で
 確かに独特のイントネーションでみなしゃべるのだ
 幼い頃はそれでもある程度は自然に操れていたきもするのだが
 いまではすっかりぎこちなさが残るだけとなってしまった
 それがなんだか恥ずかしくもあるしなぜか悔しくもあるので
 結局私は帰省の機会が減るごとにそれを封印してしまった

 そうそう、確か中学の頃のことで、こんなこともあった
 朝自習の時間にただひたすら宮沢賢治の写本をやらされた記憶があるのだが
 そんなわけだから私はその文章に
 まわりの生徒たちはその意味がわかっているんだろうか、とか
 あるいは文章の解説をしたり顔で下す教師にたいして
 あなたは彼の望むようにこの文章を発音できるのか、と思ったりとか
 そんな反抗的なことしか感じなかった、そういう記憶を持っている

 なのにさらに不思議なことに
 ようやく酒が飲めるほどの年になった今となっては
 嫌悪どころか愛着さえ感じるようになった
 いや、それは渇望でさえあるようになった

 電話越しに声を聞いただけですら想像のつくほどに
 すっかり衰えた祖母と会話をすると
 ぎこちない私の住んでない場所のけれど聴きなれたその言葉を
 わたしは口にすることができたし

 詩を書くことを覚えてから詩集なんかにも手を出して
 それをこころから
 その土地の人の言葉で聞きたいと思ってる一番の言葉が
 『あめゆぢゆとてちてけんじや』という
 私が昔嫌っていたはずの作家の有名な言葉なのだから

 すごく不思議にも感じるし
 少し、さびしさを覚える

 だってこうしてつむいでる私の言葉には
 『根』になる部分がどこにも無い
 当たり障りの無い言葉に過ぎないような
 そんな気さえしてきてしまうわけだから



※あなたの『おくにことば』はどんなふうですか?
 ちなみに作中の『願い』はかないましたね、偶然にも。2サスのお陰で。

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