Valuable experience

 ああ、なるほど
 つまり、こういうときなんだ
 ――神様を信じよう、って気になるのは

 日常の階段を
 何かのはずみにふっと踏み外して
 正直な話
 自分自身でも何がおきたかよく理解できない
 人から聞いた話で補完して
 それがいいことだったか悪いことだったかは
 もうあとになって判断するしかないんだけど
 結局よくわからない

 たぶん、神様を見た人は
 神様を自分が見たってコトにさえ
 こんなんじゃ気付けるはずもないや



不心得者

 ――『神様』?
 いるよ。だから信じない



神子

 わたくしにはひとつ、許された力がありました
 それは主の御姿を拝見し、神の奇跡を知り、
 人々を更なる信仰へと導くためのものでした

 ええ、神は確かに存在いたします

 でなければ、こんな奇跡はおきません
 飢えた村を見た優しき眼は
 その眼に涙をたたえて
 その恵みの雨で人々を渇きから救ってくださいました

 その逞しき腕は
 山肌を削り取り
 厳しい自然の中に人間が住める場所を
 与えてくださいました

 そのしっかりとした足取りは
 時に地面を震わせ
 人々の暮らしは困窮しました
 けれど
 人はおろかな戦争をそのおかげでやめようとしました
 森には木々が再び生えました

 ただ、わたくしはなぜか不思議と
 神様全体のお姿を
 拝見したことはないのでございます



believe in God?

「あなたは神様を信じますか?」
 そう街角で聞かれて
 正直に言えばわたしはその質問にYesとは答えられない
 そういう時に思い浮かべる神様はたぶん
 ひげを生やしたメサイアや預言者か、
 でなければ嬰児を抱える聖母の姿と十字架と
 それと天から差す光などにしめされるようなイメージで
 造物主である絶対神になってしまう

 それだと
 存在そのものを信じるかという問いは別として
 信仰の対象として信じ敬うかというと
 どうにもわたしの場合は違うらしく
 まあ国民性とかの問題なのかもしれないが
 神と己の魂のつながりなどといわれても、いまいちピンとこないのだ

 神と聞かれて思い出すのは不思議と
 たとえば妖怪と呼ぶ方が近いような
 異形の者たちの戦争の様であるあたり
 どうもわたしは天邪鬼らしい

 まあ、戦争時の英霊さえ
 『神』と祭るような国に生まれたのだから
 それさえどこかで不思議はないようにも思うけれど

 それが神様であるかなんでどうだっていい
 その場に本当に神が降り立つかだなんてどうだっていい

 そういう問題とは無関係に
 それが何かを憂いたり慈しんだものであったり
 そこが何かの悲劇や喜びに満ちた場所であったり
 ただそれだけで
 ただ頭を垂れようと思う、それだけだ



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