「カテーテル検査の結果は正常みたいだね」
 すらすらと、カルテにボールペンを走らせる。モンブランの高級品。たぶん、一介の高校生には縁のない品。
「今のところ、身体のほうは問題ないです」
 そっけなく答える態度は、いつもと同じ。
「『彼』にあった、というのは?」
 眼鏡をなおしながら、聞く。左手の中指であげてなおすのが癖。左腕にはまっている時計は飾り気こそないけどロレックス、銀縁の眼鏡も高級品。これに、白衣まで着ているのだから、もうわかりやすいとしか言い様のない容姿だと自分でも思う。
「大きな変化、といえるかどうかこれはまだわかりません」
 どう答えたものか悩んでいる様子。言葉で説明するのは苦手らしい。なるほど、大概にしてこの子は言葉の先にあるものを言葉を超えて理解してしまっている。そういう子だから……『えらばれた』。
「ただ、彼がその人であるという強い確証を感じた、ただそれだけです。やっぱりこれ、そう簡単には教えてもらえませんよね?」
「どうしても強く希望するならば、それは決して不可能ではないけれど。きわめてプライベートでデリケートな問題である、そのことは君もわかっているよね? それに、個人的には……」
 そうだ、これは所詮自分の個人的な感情。
「現状維持のまま研究を続けたい?」
「そうなる」
 見抜かれている。
「なぜ君が選ばれたのか。考えたことはある?」
 そんなもの、考えないときのほうがおかしい。その目はそう語っていた。
 ――えらばれて、いきのこった。
 その不思議さ、その責任、その重み。それがたかだか18歳の少年の身にのしかかっている。 「扱いが非公式なんですよね、確か。あなたの研究には都合がよかった、そういうことでしょう?」
「私は雇われ研究者だ。精確には、その『スポンサー』にとって、だね。詳しいことはいえないがある団体だ」
 そのことに関しては、正直自分でもあまり語りたくはない。結論を言えば、自分はただの研究者である、それだけだ。
「父のことも、関係していますか?」
「していなくはない。しかし、当時はあの方も今ほどの影響力はなかったと思うが。まあ……たしかに、色々な意味で都合がよかったのはたしかだ。なにより、若い」
 当時は、15歳。どちらかといえば、若すぎるくらいだ。けれど……
「センセイは、どう考えてる? おれの『能力』のこと」
 たぶん……それが一番の原因。
 はたから見れば特殊な形態に見えても、よく調べてみれば家族の支えがきちんとある。年齢だって若すぎるほど若い。手術を受けたのは年齢制限ぎりぎりなくらいだ。
 おまけにその家族。実際『スポンサー』とも少なからずつながりがある上、財界人に顔のきく父親を筆頭に、才能にあふれた家族たち。
 けれど、それ以上にこの特殊な能力は大きく関係している。そして……正直とんでもない結果を残している。伝えてもない情報と情景を、いくつも正確に言い当てた。
「その現象自体を詳しく解明する必要はないし、難しいだろうね。ただ、チャンネルが多い状態なんだと思っている。そして、それは記憶の在り処を探すのには都合のいい能力である、それだけだ」
 記憶のありかを探す実験。そう、確かにそれを告げられたし、自分自身も彼にそう告げた。
 『スポンサー』がどこまで何をご所望かは知らないが、自分は自分の研究を続ける、それだけだ。
「ほかには?」
 あまりそのことには触れたくないので話題を変える。
「……傷跡」
「?」
「手術の傷跡、消えるまでまだ時間かかるかなぁ……」
 言葉に、詰まる。
「それは、外科医に掛け合ったほうがいいんじゃないかな。でも、そういったものは自然に消えていくものだと思う。よほど気になるのであれば、形成を受診すれば変化は望めるとは思うのだけど」
 能力だとか、研究だとか。ふといやになるのはそんな時。目の前に座っているのが、ただの少年と思い知らされるとき。
「『普通の』カウンセリングも、プログラムに付け加えたほうがいいね。不安定なのかも。なにか、日常生活にストレスでも?」
 表向きは、これが『カウンセリング』。けれど、実際は…………
「おねがいします。ええ、まあ、受験生ですから」
 僕のことなど眼中にないかのように、にっこりと、望月緋夕は微笑んだ。


⇔葉月