ユーレイヤシキ!?
ね、ユウ、あたしはユウのくれたもののこと、きっとずっと忘れないよ?
ユウのくれたものは、ガラクタみたいなものばっかりで、意味なんかなくって、役に立ちそうなんかなくって、それでもとってもあったかいものばっかりで……
一緒に過ごした時間のこと、絶対忘れないからね。
*****
気分も晴れやかな金曜の放課後――その提案はなされた。
「は? ユーレイヤシキ?」
教科書と参考書を鞄にしまいこみながら。望月緋夕(もちづきひゆう)は思わずカタカナ変換で声をあげた。
「そ。面白そうじゃない!? どうせ明日土曜日だしさー、行ってみない?」
朗らかな声で、柳平葉月(やなひらはづき)はそう緋夕に返した。彼女は緋夕の幼馴染である。対する緋夕は、
「……つまり、おまえはもう一年受験生をやる気だ、と言いたい訳か?」
「う゛っ……」
……また、下らないものにうつつを抜かしている。とゆうか、大体お前はいくつだ。そんなことを思って、冷ややかに痛い一言をつく。この二人、現在高校三年生、受験戦争の年に突入したばかりである。が、葉月も負けない。
「いやなら別にいいんだけどさ。とりあえず行っとけば参考くらいにはなったと思うんだけどなあ、『文化祭委員』?」
「イヤなことを思い出さすな……」
文化祭委員。三年の、受験の大変な時期に。手など抜けない。自由な校風が売り物の学校では、どんなに進学率が高かろうとなぜかみんな盛り上がってしまうあの文化祭の、文化祭委員なのだから。出し物に関して議論を進めるほどの時期ではないが、まあだからこそ参考になりそうなものはありがたくもある。
「じゃんけんで負けたんだからしゃーないじゃん。それに別に、ユウの成績ならどうせ推薦でいけるんじゃないの?」
葉月は緋夕のことを『ユウ』と呼ぶ。名前の下のほう縮めて呼んでいるわけだ。理由は簡単で、葉月は子供の頃『は』行の発音が苦手だったからだ。つまり、そのくらい昔からの古い付き合いなのである。だから、葉月は緋夕がいかに頭がよろしいかも知っていたし、
「指定校か? 倍率どれくらいだと思ってる……。あれは運だ、運」
いかに運に恵まれないかもまた、わかっている。その返答は、ひどく納得のいくものだった。
「で? どの辺にあるんだ?」
そして、緋夕が話の筋を元に戻した。
「え、じゃ」
「ま、参考にはなるだろ。行ってやる行ってやる」
むしろこいつを一人でほっぽり出しておいて暴走されるほうがよっぽど危険である。子供のころからの付き合いのせいで、ついつい、そう思って緋夕は素直に葉月の提案を受け入れてしまう。
(それに何より、おもしろそーだし)
その言葉はすんでで飲み込んだ。不謹慎ではあるし、だが葉月はきっと緋夕がそう思ったことくらい見抜いているだろうと思って。腐れ縁なのだ。付き合いは、長いのだ。
「うーんとね、そんな遠くもないよ」
といって葉月が提示した場所は。確かに、高校生の視点から見ても、二人の自宅からはさほど遠くない場所だった。
*****
そして、翌日。
「うあー、なつかしー。子供のころ昔よくやったなぁ、少年探偵団、とか言ってさ」
それは……おまえが思いつきのままに面白いことを見つけるとすぐ飛びついた、ということの間違いではないか? という言葉を。緋夕はすんでのところで飲み込んだ。
「で、来たはいいけどここって空いてんのか?」
ミステリーの舞台のような、大きな古い洋館。説明は、その一言で事足りる感じのところだった。そして、そんな洋館らしく、重厚そうな扉が玄関にはまっている。救いなのはせいぜい、庭がさほど広くないことだ。
二人が門をよじ登って超えたところで、緋夕は葉月に尋ねた。無論、きちんと普通のお宅を訪問するときの手順にのっとり、呼び鈴を鳴らしノックをし、ごめんくださいと例の挨拶も述べている。これで、体裁は整うわけだ。
「あ。まあ、ほら、どうにかなるって……」
渇いた笑みで、葉月が返す。
(やっぱり……)
緋夕は心の内で、毒を吐いていた。実際に言葉にしなかったのは、悪運の強い葉月のこと、大概の場合ほんとに『どうにかなっ』てきたからである。
そして今回も……
「あ、あいてた。鍵掛かってないよ、ここ」
扉に手をかけたところで、葉月がそのことを見つける。
ほんとに、こいつの悪運の良さには憧れる。
お邪魔します、とさらに体裁をつくろうを文句を述べて。二人は中に入っていった。
「んー、やっぱ中は結構薄暗いなぁ……」
いくらか歩を進めると、そのことを実感する。洋式のつくりとは言え、家の奥のほうに入っていくとどうしても光は届かない。そのくらい広いのだ。
おまけに、『どうせ【お化け屋敷】にいくなら』、と夕刻の時間帯――いわゆる逢魔が刻、ってやつだ――にきている。このあたりは結構郊外のほうだし、この分だと帰るころにあたりは暗くなるのは必至だ。
「……おまえ、『計画性』とかゆー言葉しらねーだろ?」
さり気無く持ってきたディパック――決して大ぶりのものではなく、緋夕は通学かばんにもこれを愛用している――から懐中電灯(ペンライトではなく、それが出てくるあたりを緋夕らしいとふと葉月は思った。なんのかんの言ってこいつも変わり者なのだ)がきちんと二つ出てくる辺りがさすが緋夕である。準備がよろしい。ついでに言えば緋夕が鞄を整理すると四次元ポケットかなんかか、と突っ込みたいほど物が入る。
「で、ここって結局どういういきさつでそんな呼ばれ方してるわけなんだ?」
手早く荷物をまとめなおしディパックを再び背負い、たずねる。
「ああ、要するに、まぁ、いわゆる『わけあり物件』みたいだね。いろいろ噂話もあるみたいだけど、なんか尾ひれ付き捲っててさ、どこまでホントか良くわかんないのね」
「わけあり物件、ねぇ……」
心霊現象を信じないわけではない。むしろ、現実的な言葉を選んでやれば頭ごなしに否定するよりずっと賢いとも思う。第一、
「そ。なんかありそう?」
「いや、別に……。少し『気』が乱れていはいるみたいな感じはするけど、これくらいならたいしたことは……」
第一、緋夕は人より霊感のよい部類に入るのだ。
「うん、それで、まあ、買い手も付かずに放置してたみたいなんだけど、最近になって買った人がいるのかいないのか、一応、人が――しかもそれも何人か、複数の人間が、ね――出入りしてる気配やら、物が動く音やらはするらしいんだけど。まあ、いまんとこ人は住んでなさそうだから。こっそり忍び込むくらいはできるかと」
「ふうん」
ツッコミどころは面倒なので無視し、そうはいってみたものの、何か引っかかることがあるような気がした。葉月のほうも、喉に小骨が引っかかったように呟いたその緋夕の言葉に引っかかったらしい。
「なに、どうかした?」
「いや、なんか聞いたことあるような話だなー、って」
「デジャブ、ってやつ?」
「かなぁ…?」
「ふうん……。あれ、これなんだろ? 地下室に通じる秘密の扉ー♪ とか言う奴かな」
少し目立たないつきあたりに、鍵付きのちょっと重たそうな扉がある。外から見たこの家の造りを考えたら、この先に部屋はないはずだ。ちょっとしたパズル的な思想。葉月も気づいたらしい。
「あのなあ、こんな堂々と見えといてどこが『秘密の』なんだ? それに、そんな月並みなことあるわけな……くもないな」
扉の先には、下へ下りるための階段。その半階から一階ぶんぐらいの階段を下った先に、さらにドア。こちらはただノブが付いているだけの、簡易的なものだった。中を見渡してみれば書庫から物置へという遷移をたどったらしき部屋がある。書庫をこう言う風に使われたくはない、というのは緋夕の個人的意見である。
「ただの物置かぁ……」
だったら何であってほしかったのだろう。目測で、部屋の広さを測りながら――多分、10畳くらいだ――心の中で葉月に突っ込みを入れた。口に出せば、葉月らしい答えが返ってくるのは予想済みだったので。
「うーん、この家、ほんとに出入りしてるやつがいそうだな……」
ちら、と部屋の片隅に忘れ去られていたように存在していた、どうしてだかくらげによく似て見える形に見える白いもの……ようするに、今どこかの店で何かを買ってこれに物を入れられないほうが珍しい、という白い手提げのビニール袋を手にとって、緋夕は言う。
「日付の切れた食料品……?」
袋に印字されている名のコンビニは、ここの近くにある。行きがけに通りかかった。そしてご丁寧に、賞味期限を過ぎたサンドイッチはちょうどそこの自社ブランドのものだった。
だが、その時点で二人は凍りつく。
――人の気配を、感じたのだ。
それでも二人同時に懐中電灯の電源を切って、思わず呼吸さえ止めて、耳からの情報に頼る。
(足音……女だな)
歩幅の感覚が狭く、歩行スピードも遅い。何より、音が甲高い。ローヒールのミュールか何か……いや、この季節ではまだ不適切だから、たぶんローファーの靴音だ。
ここの廊下はそんなにも足音が良く響くものだったのか、といまさらながらに驚愕する。
でていっても言い訳くらいはできるだろうが、なんとなく気まずい気もして二人は、その足音が通り過ぎるのをまって、ここから出ようとしていた。
……出ようと、していた。
ぎぃぃ〜、ばたん。ガチャリ。
ふと、そんな音が響いてくる。二人の脳裏をいやぁな予感がよぎる。
「あれって、もしかして……」
「もしかすると……」
一旦お互いの顔を見合わせてから。思わず、揃って扉――入り口のほうのだ――のほうに駆け出す。
「やっぱし鍵閉められたっっ!!」
半開きに開けておいたはずの扉は閉まり、ロックもされている。
かしゃがしゃと、無意味にも葉月がドアノブをつかむが無論開くはずもない。
こういう屋敷によくある、鍵穴から外が覗けるタイプの鍵だ。鍵がないと内側からだろうが外側からだろうが施錠も開錠もままならない。
「すみませーん、あの、間違ってここの中はいっちゃったんですけどぉ!!」
葉月が大声で叫んでみるが、むなしくも足音は遠ざかる。
あちらからの音がこれだけ聞こえてくるのだから、この叫び声がまったく聞こえない、ということもないはずだ。なら、向こうがこちらの音を聞こえない状況にあるのだろう。一瞬、もしかして日本語がわからないせいかとも思い、英語で叫んでやろうかとも思ったが、どのみち叫び声が聞こえれば普通引き返すだろうという思考にすぐたどり着いて、止めた。
「駄目だなぁ……。音楽でも聴いてたのか?」
「かなぁ……。空耳かもしんないけど、何か聞こえた気もしたし。……けど、どうしようか、コレ。ぶち破るには重そうだし……」
たぶん、今葉月はこのドアに思いっきり踵落としをくらわしたらどうなるかをシュミレートしてみたのだろう。体術に自信のある葉月でもそれならば、おそらく無理なものは無理だ。
う〜ん、と一旦葉月が頭を抱え込み。そして、ふとあることを思いつく。
「そだっ! ユウってピッキングできたよね!?」
ぶち破れないのなら、少々辛いが正攻法で行くしかない。
一介の高校生がそんな技術を持っていて、しかも幼馴染がそんなことを知っているという無理のない設定だ。自分には訳あって遠くで暮らさなくてはならない義理の妹が12人いるような、非常に無理のない設定だ。
なんとなく、葉月の頭をそんな思考が掠めていった。
「やろうと思えばできなくもない、が……」
「それじゃあ」
期待通り。なんだ、慌てることもなかったか――
その葉月の思いは、ほかならぬ緋夕自身の一言に脆くも崩れ去る。
「道具がない」
「こういうとこにこういうことしにきたのに?」
「こういうとこにこういうことしにきたから、だ。もし職務質問でもされたらどうする気だったんだ、お前?」
される可能性を考えるほうがすごいと思うのですが。
「あ、でもほら、専用の道具がなくったってさ、そこらの針金とかヘアピンとか」
「そこらに針金なんて落ちてなかったし、第一お前はヘアピンなんぞ持ち歩いてないだろ。それに結構難しいんだぞ、あれ」
動きやすいし、洗う手間はないし、どっかに泊まりで出掛けるのにも便利だし。ベリィ・ショートとまではいかないにしても、葉月の髪はかなり短い部類に入るほうだ。そんな髪にヘアピンなど必要ない。と言うか留まらないのだ。だからといって男の緋夕がそんなものもっていてもただの変態である。手鏡は持ち歩いてるくせに。
ひゅうううう〜〜、と。
冷たい風が、屋内なのにもかかわらず一陣吹いた気がした。
くううう〜〜〜。
響いた音に、思わず腹に手をあて。
「おなかすいた」
葉月がぽそり、という。
夕餉の時分である。
「食いもんくらい持ってきてないのか?」
「ちょっとしたもんくらいなら持ってきてはいるけどね……」
「ちょっとしたもの、ねぇ……」
そして、おもむろに葉月は鞄の中身をひっくり返す。葉月の鞄も緋夕と同じく背中で背負うタイプのものだが、こちらは少ない日数なら山に行こうと思えば行けるような収納力と実用性を兼ね備えたものだ。ちなみに無論、こちらも葉月愛用の通学鞄である。
「ええと、一口タイプのビターチョコ(一箱26枚入り)残り半分に、クッキー(個別包装)5袋に、プチせんべい(未開封)1本に、ライフガード(超生命体飲料)残り約3分の1に……」
声に出して中身を確認しながら、並べる。
「おまえ……何しに来たんだ?」
収納、と言うことに関しては少々自身がある。けれどそれでも、菓子類や化粧道具の入った女の鞄には敵わない。どうやってしまったんだ、と突っ込みたくはあったがやめておいた。賢明である。
「ユーレイヤシキのタンケン」
緋夕の問いに、葉月はそう切り返す。
「おまえ、絶対高校じゃなくて小学校3年生だろ」
頭が痛くなりそうだった。
「それならユウもおんなじってことになるよぉ……えーっと、そっちの所持品は……なんだ、のどあめと水だけか…、あ、まだほとんど500残ってる」
勝手に物色し、ミリリットル、という単位は抜いて、ペットボトルに入った水の残量を確認する。緋夕はこの二つは持ち歩く主義だった。
「をい。人のプライバシーを勝手に覗き見るな」
と言って、愛用の黒いディパックを葉月の手から奪い返す。
(もってきといて、正解、だったな)
その中に入った白い紙袋に、葉月に悟られないよう触れて確認し。ふと、そう思う。たとえ葉月でも、正直な話を言えばこれを余り人には見せたくないのだ。そこから、緋夕の一番弱いところが抉り出されてしまいそうで。
「ま、水の残量はちょっと不安だが月曜まで待てる程度の食料にはなりそうだな」
残念ながら、この部屋には水道はない。仮にあったとしていても、先ほど通ったところでひねってみた水道からは大量の錆びが出てきていた。このあたりでは井戸水を使っている可能性は低いから水道料金を払っているものがいる、と言う証拠ではあるのだが、あまり当てにはできそうもない。
「月曜まで?」
「いや、うちの家族のことだから、連絡いれなくったって心配なんざしやしないだろうし……」
緋夕の親はとにかく放任主義な親である。息子が外泊したところで、気にも止めないだろう。実際、緋夕も無断外泊を何度かしている。というか、その親が外泊の常習犯なのだからどうしようもない。葉月に至っては諸事情によりそもそも親元で暮らしてない。
「……学校、今までフケとかないでよかった」
少し自虐的に、葉月が言ってみせる。
無断欠席、早退、遅刻がなかなか多い学校なのだが、常習犯は大概決まっている。今度の担任は比較的普通そうな人だし、今まで無断欠席をしていなかった二人が授業に顔を出さないとなれば、まあ、家に連絡を入れるくらいはしてくれるだろう。
「ん? 連絡……? あ、そーだ、電話! 携帯電話!!」
なぜだろう、気が動転していまどきの高校生の必須アイテムのことをすっかり忘れていた。
ただし、葉月はその例外である。親が持たせない主義なのだ。バイト代で買おうかとも思ったのだが、実際なければないでそこまでにも困らないので今までも持たずにいる。持っているのは緋夕のほうである。
「……兄貴につき返したんだよ、この前……」
非常に申し訳なさそうに、緋夕が言う。おなじく、もともと緋夕はそんなものなくても困らない主義だ。第一、緋夕は機械の系統には疎いのだ、予約録画が精一杯の人種なのである。それなのに、持っていたのはひとえに緋夕の兄のひとりが都合のいいときに彼を確実に捕まえたかったからに他ならない。だが、受験で忙しいときに、誰かから簡単に捕まってしまうような道具を携帯する気にはなれない。兄達の手伝いなんぞより勉強がしたい。そんな理屈で、現在その文明の利器を緋夕も所持していない。
「馬鹿、って叫んでいい?」
「いや……、できればやめてほしいんだが……」
笑顔なのが怖いし。
「まあ、生産的でないのは確かか。けど、あの女のひと誰だったんだろ?」
「う〜ん、水道は通ってるみたいだし、電気も通ってるみたいだし……。比較的最近まで住んでる奴が居るのか居たのか。それじゃないのか?」
「じゃあその人に助けてもらえば!」
「居るのか、『居たのか』って言ったんだ、俺は。過去形だった可能性もある。一週間くらい前に賞味期限の切れてる食べ物が置いてあった。これってつまり下手すれば一週間以上前からこの家は無人だった可能性がある、ということだ。家の所々はほこりかぶってるしな。たんに掛け忘れた鍵かけにきただけかもしれないだろ?」
「ってことは、月曜まではまずここから出られないってこと!?」
「ま、一番悲観的な見方をすれば、な」
「『一番悲観的な』?」
「ん〜、もしかしたら明日中には助けくるかも知れないし」
「え、なんで?」
「ほこりをかぶってるのは『所々』だったんだ。つまり、さっきの逆もありうる」
「逆?」
「これからこの家に住む奴が居る、ということ。その準備のための掃除を定期的に行っていた可能性がある。くわえて、その食べ物はコンビニで当日売ってるような品物で、丁度一週間前の明日……日曜日に買われたものだった。レシートも入ってたし、多分捨て忘れっちまったんだろうな」
理論展開に穴はない。もし仮にあったとしても、この弁論術でならその穴を指摘するどころかそれが理論の抜け穴であることさえ気づかないだろう。
「あ、それもそっか。とりあえずまってみるしかないのには変わりないけど」
自分からアクションを起こせない、と言うことが葉月には不満そうだった。彼女は、そういうキャラなのだ。
「体力温存と食料節約のため、寝てすごしておくのが一番の得策、かな?」
結局二人は、部屋の片隅で黄色くなっていた新聞を布団代わりに眠ることにした。
*****
――緋夕の読みは、あたった。
人の気配と足音に、二人は目を覚ました。
「……宇宙の心は彼だったんですね!!」
「だれだよ。っていうか、だからそういうネタをしかも起き抜けで持ち出すのはやめろって。とにかく……」
緋夕が切り出すより先に、葉月は行動した。
「すみませーん!! 昨日お宅を伺ったらお留守だったらしくて、上がったら迷ってしまったんですけどぉ!! すみませーん!?」
語尾に必ず『!』がつく位の大声で、さらにドアも思いっきりノックしつつ足音の主に訴えかける。
「二人か……三人か?」
今回の足音は複数だ。なら、昨日のような事態にはならないだろう。分析しながら、葉月と同じ行動パターンをとる。
がちゃり、と言う音がして。
ようやっと、外界との接点は開かれた。
「望月先輩に柳平先輩!? 何やってるんですか!?」
「……それはこっちの台詞だ……」
そして、開かれた外界の先にあった二つの対照的な色に思わず目を見開く。隔てられた世界の先にいたのは、互いに顔見知りの存在だった。
まず声をかけてきたのは、いわゆる『お嬢様』を体現したようなほう。清楚と言う言葉のよく似合う、白い肌、長い髪には癖はない。
世羅朔夜(せらさくや)に、世羅奈々夜(せらななや)。
意味もなくこの二つの色の主の名を反芻する。
この二人は実は緋夕たちの高校ではちょっとした有名人だった。なぜって、大体双子と言うものはそもそも珍しい。両方そろえばなお珍しい。
おまけに、この二人は二人とも緋夕と葉月と、同じ部活の先輩と後輩の関係に当たるのだ。
「なによ、自分のうちに居ちゃいけない?」
もうひとつの色の主の名、奈々夜がそういいながら前に歩み出る。彼女はたとえ先輩でも敬語を使わない。あけすけと自分を主張する分、胸がすっとするようなタイプだ。ずい、っと歩み寄った瞬間、塩素と日光と(奈々夜は水泳部員でもあった)安い染料で赤茶けた、短い細い糸が少し不自然な格好で揺れた。日によく焼けた褐色の肌には、不機嫌そうな表情が乗っかっている。
「自分の」
「いえ……?」
ほとんど鸚鵡返しに返す緋夕と葉月に、解説を入れる。
「ええと、今度越してくるんですよ、こっちに。通学通勤便利だし」
「それにしてもこんな家……」
「ああ、ホントは親の知り合いの人の持ち物なのよ。藍河さんっていってね。賃貸。わけあり物件だし、安いの」
『あい、かわ……?』
(あ。もしかしてそれって……)
いやぁな予感が、二人の脳裏を掠める。
「あー……、なんだ、その、もしかしてその人って活花の先生やってたりとか?」
もっと正確に言えば、活花と現在で言う所のフラワー・コーディネーターの中間のようなものだろうと思うのだが、とりあえずコレで世間には通じるらしい。
「で、藍色の藍にかわは氷河のほうの河って書く……」
「知ってるんですか?」
ふと、緋夕は既視感の正体を思い出した。
――自分の家だ。そう、自分の家も少々のわけあり物件で、だからこそ両親が買い求めたのだ。あれだけ立地条件の良いものがあの値段で変えるなど破格だったし、何より緋夕の家族にはそういったものを恐れない理由がある。
「あら? ひーちゃん、なにやってるの? 葉月ちゃんも一緒で。手伝ってくれるなら大賛成だけど」
真打登場と言うか、なんと言うか。貫禄がある割りに少し婀娜っぽい、留袖のよく似合う女性、とでも表現しようか。奈々夜と朔夜に遅れて続いてきたそのひとはのんきな口調でそういった。
(やっぱりだよ……)
「かあさん!!」
「真理恵さん!!」
ほとんど同時に、緋夕と葉月が叫ぶ。
一瞬遅れて、
『母親っ!?』
双子が叫ぶ。
「え、だって苗字……」
と奈々夜がいいかけて口をつぐむ。旧姓だったとしたら、つまりそういうことだからだ。
「ああ、仕事のときは旧姓を使ってるのよ」
フォローは、問われたその人自身が入れた。
「で? この家買ったって何?」
そして、ひどく不機嫌そうに緋夕が訊ねてくる。
「ほんとはねぇ、こういう洋館住みたかったのよねぇ。うちは和式のつくりでしょ?」
「ふぅん……」
だんだん、普段からあまりよろしいとはいえない緋夕の目つきがさらに悪くなる。
「わけあり物件だもの。安いの」
問いただされるほうも、笑顔を絶やさぬままに、額にひとすじ汗が浮かんでいる。
「へぇえ」
言葉の語気も、次第に強くなる。
「買っちゃったものは仕方ないじゃない? 引っ越そうかなーとも思ったんだけど、ちょうどこの辺りにうちを探してるお弟子さんがいてね、じゃあ賃貸にしようと思って」
なんとなく、不毛な言い争いになりそうな気がして、朔夜が間に入った。なんだか、頭の中は疑問符だらけだった。
「それがあたしたちの母親――ってわけなんですけど。それで、お二人ともなんでこんなところに?」
これには、緋夕が返答する。
「まあ、ここのうちの人にあいたいと思ってな」
「だから、ソレなんで?」
地は朔夜と同じはずなのに、化粧のおかげでこちらのほうがやたら大きく見える目をさらに大きくして、奈々夜が訊ねてくる。
「一言で言えば好奇心?」
葉月がまた、きれいにボケをかましてくる。これも、あまり引き伸ばすとめんどくさいので緋夕が双子に意見する。
「でも迷惑な話だな、ったく。鍵しめてたのお前らだろ? おかげで閉じ込められたぞ、この部屋」
何か引っかかったらしくて、奈々夜が問いただす。
「それ、いつ?」
「え? 確か昨日の夕方の……」
「……あたしたち、昨日来てない」
『え?』
「だから。そのとき、そこ、無人」
『・・・・・・・』
皆が互いの顔を見合わせる。
「それじゃあ」
「あの、足音って……」
つぅ、と。
春だというのに、背中をひとすじ冷たいものが流れたような気がした。