061.精神、それとつながる身体
音を失った。
それは曲げ様もない事実。
その事実に気づいたのは、たぶん、正直な話それからしばらくしてからだった。
音を失ったことにさえ気づかないほど、あのときのボクは混乱していた。
けれどいざ気づいてみればひどくボクは冷静で
音を失ったところでさしたる不自由はなくて
むしろこのまま誰とも会話をせずにすむのなら、喧騒から離れていられるならずっと楽じゃないかとさえ思えて……
――ボクが、音を失ってすぐの話。
あの屋敷がどうなったのかなんて知らない。記事になっているかどうかわからない新聞を買う気にはなれなかったし、噂話に聞き耳を立てる気も……ああ、ボクには聞こえないから無駄なんだ。
なんだか、いろんなことに現実味がない。
さて、どうしよう。とにかく逃げなきゃ。いや、別に逃げなくて捕まったっていいんだけど。父親のせいで捕まるのはなんだか癪なので、やっぱり逃げよう。
でも、生きていることに価値なんてないと思っていたし。誰かがボクを壊してくれるならそれでいいとさえ思っていた。
うまく立ち回らなきゃと思うのに、なかなか世の中はうまくいかない。
いつの間にかボクは事故で(正確にはあれはボクが火をつけた故意の、しかも殺意もあった火事だ)家族を失った(あんな父親、親だと思ったことなんて一度もない)ショックで両耳の(というか方耳はもともと聞こえなかったんだけど)聞こえなくなった『かわいそうな孤児』として、救貧院に入れられることになった。ホント、何がどういう経緯でそんな認識をされたのかよくわからない。まあ、ボクがあの家の人間だということがばれなかったみたいだから、その点においてはよかったと思う。
救貧院、といったってそこでの暮らしは……正直、想像以上だった。いや、この場合『以下』のほうが正しいのかな?
食べるものも着るものもろくに無ければ、衛生状態だって最悪の暮らし。これで病気になるなというほうが無理なのに不自由な肉体に、ひどい労働を強いられている人々。
ただ、そこに住む人々は――生きていた。ただひたすら、必死に生きていた。
あまりいい暮らしとは言いがたかったけれど、ボクはそこで初めて人と触れ合うことを知った気がする。
たぶん、ボクのココロはあそこでやっと形成された。それにしたって、いまでさえ未成熟で、危うい精神だとは思うけれど。
だから今ようやっと
精神、それとつながる肉体
を、大切にしたい、と思うんだ。
君に出会って芽生えかけのココロはやっと、『生きる』ってことを知った気がするから。