――なにも、できない。

 その状況に、彼女は見事なまでに反応した。
 流れるような動きで、相手を圧倒する。たとえ見えていなくても技能の差がありすぎる。
 こんなことがおきたのに、どうして、というよりは、恐れていたことがおきた、とでも言ったような感覚に似ている。
 耳鳴りがしてまた倒れてしまうかと緊張したけれど、幸いというべきか数歩ふらつく程度ですんだ。
 メクラを襲った少女――少女と呼べるくらいの年齢に、僕には見えた――は、すでにツァルが取り押さえていた。

 メクラ、君は一体……一体、何を恐れている?
「あの時彼女がなんと叫んでいたかわかるか?」
 不意に姿を消してしまった彼女の様子は、あいも変わらず不安定なままだった。
 不思議だ。本当にまるで、定まった形などない、揺らめく炎のよう。
 でも、美しいそれに触れようとすれば……人は火傷をしてしまう。
「さぁ? 急なことだったし早口だったし、何よりスーラの言葉のようだったからよくわからないや」
 お願いだ。君は、そんなこと口にしなくていい。
「ひとごろし」
 沈黙。
 けれどそれが真の静寂かどうかなんて僕にはわからない。
 これは……どこか遠くで聞こえるような、汽笛の音?
 違う、いつものただの耳鳴りだ。眩暈もする。
 こんなときに限って失神するどころか、かえって意識がはっきりしていく。
 うるさい、うるさい、うるさい!
「『人殺しの魔女め。お父様の仇』。たぶん、そういっていた」
 うるさい、うるさい、うるさい!
 耳を塞いだって意味なんてないし、叫んで逃げ出すのはもっと意味がない。
「……そう」
 ……恐れていたのは、ボクのほうじゃないか。
 世界が、崩壊していく。
 自分が踏みしめていた大地が、実は薄い氷の上であることくらい、もう自覚していたけれど。
 何もできない。
 彼女にどんな言葉をかけていいのかさえわからない。
 いや、ボクには何か言葉をかける資格なんかないんだ。
 ――ボクも、人殺しだから。
 ボクはこの大きな大きな
 宇宙の一部
 そのなかの、とてもとても、ちっぽけな存在に過ぎないし、世界を変える力なんてあるわけもない

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