041.いずれ、やってくる
――たしかに、どうでもいい
違和感の正体がわかった。彼がぱっと見にはスーラの人のような感じがしないことだけじゃない。
「ああ、蟲にやられた。それで、『門番』を追われていろんなところを回りながら傭兵業、ってわけさ」
観察するつもりが、その部位を凝視してしまっていたらしい。彼には左腕がなかった。
髪は短い。目と髪は黒だが肌の色はさほど黒くない。体格はいい。だからおそらくは声も太いほうだろう。
服装も、傭兵といわれればうなずけるような服装で、それに違和感を覚えるとすれば腰に下げているのが短剣だけであることくらいだ。
「名前はツァル。クェツァルタス」
「Que……?」
耳慣れない名前の発音に、さすがに戸惑う。
「ああ、綴りは……」
一文字一文字丁寧に解説する。指文字のおまけつきだ。クラムに手話を教えたのはこの人だろう、とだからわかった。『E』のときの癖が少し似ている。
「ツァル、でいいの?」
それでも、ボクが口を開けば少しは驚愕したようだ。少しだけ沸いてくる、子供のようなくだらない優越感。
「聞こえないのは本当。アクセントは? これであってる?」
「Yes」
きれいな手本どおりの発音。たぶん。メクラもそうだったけど、彼もこの言語が使えることに驚く。スーラの人は案外博識なようだ。それも、ボクの偏見だろうか。
「で、お前の名は?」
ひとつ、悩んで。本当の名を言うことにした。『本当の』――
「――エド。もっと正確につづって発音するならEdvard、エドヴァルドだ」
もう、意味の無いボクの名前。それは、自分の真の名といえる? でも、そのほうが対等だと、何故かそう思ったから、思ってしまったから。
「そう、呼ぶべきか?」
意外なほど紳士な対応。見た目にはふた周りほど歳が違う。髪と目の黒も光の具合で茶が濃く見える。
「どちらでもいいよ。でも、できればロウと呼んでほしい。ボクが彼女をメクラと呼んでいたように」
アクセントはわざとかえてある。くだらない意地だ。けれど、彼はそれを汲み取ってくれたらしい。
「シュナのことも、もうシュナと呼ぶべきではないみたいだな」
わかっている。『欠けているもの』を――そう、彼も欠けているもの、だ。
だから……だから、余計に、怖い?
ボクは一体、何を恐れているのだろう。
「意外だな」
考えを変えてみたくなったところに、ツァルは妙なことを言い出した。
「何が?」
「お前みたいなやつは大概人の眼を見て話すなんてことはできないやつなんだが」
馬鹿馬鹿しい。
「ボクはロウだといったろう。超能力者でもないのに、相手の顔を見ずに話すなんて無理だよ。だいたい、どうしてそうボクのことを決め付けられるの?」
でも、確かにそのとおりかもしれない。正直に告白すれば、ボクは唇の動きを見るかわりに人の眼は見ない。
「いけ好かないにおいがするからな。なんとなくわかる」
よくわからない。飄々とした態度。
メクラが火なら彼は風だ。
「こういうことを言うことは不躾だとは思うんだけど」
どうにも、どう間を取っていいものやら。大体にして、いや、でもそれはそう思ってしまったことは、事実なんだ。
「『彼女に近づくな』」
語気を強めて、知っているスーラの言葉を並べ立てて短い分を作る。
流石にツァルも唖然として言葉を失っている。けれど。
「『何故だ』」
スーラの言葉で、強く強く言い返される。不審そうな、けれどにらみつけるような目。いいや、彼もまた……獣だ。
こらえきれずに眼をそらした。ボクの負けだ。
「別に。彼女の過去は彼女を傷つける、そう思っただけ。それに、ボクにとっては彼女はただの『メクラ』で――今のところはそれ以上でもそれ以下でもないから」
それでも、それだけは言っておきたかったから。彼女は彼女のままで十分だから。
「彼女は……彼女は、『メクラ』だよ、今のボクにとっては。そして、今の多分彼女自身にとっても」
「好きにしろ」
ツァルは悔しいくらいに彼女を知っている。
けれど、ボクにとっては今のところはそれで十分。
たぶん、遅かれ早かれ、真実を知るときも、それでお互いを傷つけることも、そして多分……二人の別れも、
いずれ、やってくる
それがいつになるかなんて、誰にも知りようが無いんだから