040.地球の終焉
――考えたくも、無い。
多分、彼女の過去を知っている人なんだろう。
スーラの人にしては少し雰囲気が違うようだけど。それにしても、何か彼に対して一瞬感じた奇妙な違和感は何だろう。
クラムが妙にじゃれ付いている。知り合いだろうか。彼女は――むしろ、戸惑っているだろうか。
早口で答えているのか、それともスーラの言葉で話しているのか、何を話しているかはよくわからなかった。
「メク、ラ?」
だから、たずねることさえ、思わず戸惑ってしまった。彼女を、その名で呼んでいいのかさえ。
――頭痛がする。ひどいめまいと耳鳴りも。気分が悪い。とりあえず声をかけてはしまったけれど、続ける言葉が見当たらない。
「ロウ」
短く、僕の名を呼んで。けれど、彼女もそれ以降続く言葉が出てこなかったようだ。
……多分、彼女の過去は彼女自身を傷つける。彼女が今まで語ったこと以上の何かが、そこにはある。
何故だかそんな確信を持ちながら、彼女のほうに歩み寄る。手を、怪我していた。
「……手を怪我している。大丈夫?」
小さな擦り傷だったけれど、転んで作ったのだろうか。周りが散らかっているところを見るとどうもそうらしい。ボクの前ではそんなこと、絶対に無かったのに。
「べつにたいしたことじゃない」
不器用な言葉と、振り払う動作。ああ、それでこそ彼女だ。突き放されるような所作なのに、そう思えてきて思わず笑みがこぼれそうになるのを必死でこらえた。
「小さな怪我でも、あまり侮るのはよくないよ。向こうへ行って、手当てをしてきたら?」
けれど、まだめまいが消えない。ひどい耳鳴りも。結局ボクは何も知らないし、何もできない。
「そうさせてもらう」
それが思考を邪魔して、彼女の言葉もうまく『ききとれ』なかった。
そして、そこで、意識が一瞬途切れた。
ボクにとっての一瞬は周りにとっての数時間だったらしい。
背中が痛い。
「大丈夫か……?」
のぞきこむ顔、やすものの灯かり。
「え、と……」
とりあえず起き上がる。何とか起き上がれる。
……まだ、めまいがする。だいぶ軽くはなってきたけれど。
「そっか、倒れたんだ……」
ここのところ、滅多に無かったのに。
背中が痛いはずだ。ベッドなんてしゃれたものは無い。床に直接布を敷いているだけだ。布一枚あるだけでもましかもしれない。そういえば、毛織物ってスーラの特産品だったかな、なんてくだらないことを思い出す。
「無茶は、するなよ」
見慣れた顔だ。懐かしささえ感じる。いや、それは錯覚かもしれない。ボクらの関係はそんなに長くも深くも無いからだ。それにしても、なんだか、妙な気分だ。
「これは、現実?」
おもわず、そうたずねてしまう。そうさせたのは、彼女の表情。
「どういうことだ?」
さっきの顔が少し崩れて、いぶかしむ顔。だんだん、ボクの知ってる表情に戻る。
「メクラがボクを心配して、おまけにそんな言葉をかけてくれる」
だって、ボクにそんな優しい、心配そうな表情をかけてくれたことなんて無かった。……ボクのことを、心から心配してくれる人なんてどこにもいなかった。
「スーラの蟲たちと同じ目に遭いたいか?」
くすり、と思わず笑みが漏れる。ああ、これでこそ彼女だ。
「いや、うん、そんな感じのほうが普通だったから」
けれど……それはボクが勝手に作り出している彼女の幻影に過ぎないのかもしれない。人間はどこかで、他者を自分の都合のいいように解釈して、自分に好ましい部分しか見ていない。ある意味では、真に他者とは関わらずに自己とのみ関わっているのかもしれない。
「……倒れた病人の心配をするのは、当然のことだろう」
あきらめたような、けれど優しい笑顔。そういえば……ボクと真剣に関わってくれた人間なんて、彼女くらいなものかもしれない。
「ありがとう」
感謝の言葉を、述べたくなった。なんだか、まぶしい。
彼女は、太陽に似ている。強い光、大きすぎる炎。けれど、そのまぶしい日差しは、人々の希望とさえなる。
ならば、近づきすぎれば……命を、落とす?
「……なにか、本当に病気でもあるのか?」
怪訝にのぞきこむ顔、赤い瞳。その目はもう光を映さないのに、その存在は光を発し続けている。
「病気……といわれればそうかもね。まあ、いまのところ命に別状があるわけでもないけど」
ああ、そうか、ボクが彼女のことを知らないように、彼女もまたボクのことを知らない。ただ、それだけのことだ。
「ひどいめまいと耳鳴りがするんだ。吐き気とか、頭痛が一緒に来るときもある。さっきみたいに意識まで遠くなって倒れる、なんていうのはずいぶんよくないケースだけど」
たぶん完全に治療することは困難だろうけれど、さほど問題ではない。さっきみたいに発作を起こして倒れることが高頻度だと、さすがに日常生活にも支障をきたしかねないけれど、その程度も頻度も軽くはなってきている。最近では、発作が起こること自体最近まれだった。
「だいじょうぶなのか?」
心配そうな顔。彼女の体でも、無いのに。なぜ、わざわざ不安を感じたりするのだろう?
「んー、ちっちゃいころからずっとだからね。不便といえば不便だけど」
精神が軟弱だからだと父親にはそしられたが、多分それは半分正解で半分不正解だろう。
極度の緊張状態が作用する、何か心因性の病気だろう。小さいころかかった中耳炎の影響もあるのかもしれない。
「よかった」
安堵。
「ボクはよくない」
不安?
「何故?」
混乱。
「……なんでだろう。あぁ、いや…わかったけれど、さほど問題じゃないかも」
彼女とボクの立場を摩り替えたのかもしれないし、ボクが倒れていた間のシーンを考えたのかもしれない。一瞬ふと思いついたことで、ただ、思いついてしまっただけのことで、彼女を失う幻想をしてしまったんだ。幻想に過ぎないはずなのに。
そんなのまるで、
地球の終焉
と同じことのような意味にさえ感じてしまったんだ。