037.石鹸の泡
――それは、泡沫。
吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出す。
なるべくゆっくり優しく吐き出したつもりだったが、はじけるかすかな音を聞き取る手間もなく、顔に向かってかかってきた雫に、あっさりと自分のしていることの無意味さを思い知らされる。
「無意味なことをしているね」
そんなこと、言われずともわかっている。聞き覚えのある声と口調で言われて、そちらを向く。わたしは彼の顔を知らない。
「何の用だ? おまえ、自分の仕事は終わったのか?」
突き放すように、たずねる。丁寧に発音することを無意識のうちに心がけながら。彼はわたしの声を知らない。
「力仕事なんかそもそも僕に頼むだけ無意味だと思わない? 他の人の頼んできちゃった」
食べ物と飲み水を分けてもらった、泊まらせてもらった、ならばそれを返すのが流儀というものだろうに、こいつは。
「アタマを使う仕事があればそこで返すよ。計算とかなら速いから」
そう思ったところで、しれっとそう言い返す。いい根性だ。
「好きにしろ。どうせ期待はしていない」
もっていたストローで彼を指して、言い放つ。
「……君が君じゃなくても、無意味な遊びだと思うけどね。生産性が全くない」
それをわたしの手からとって、彼はそう呟いた。たぶん何の変哲もない、一本のわらしべに向けて。
「シャボン玉くらい、子どもの頃に遊んだことくらいないのか?」
「……たぶん、ないね」
返答に多少時間がかかったので、幼い頃を回想してはいたようだが、たしかにロウが遊びらしい遊びをしているところなど想像もできない。
「クラム」
「ん?」
話の流れをきるように彼がそう言って、疑問に思う。
くい、とすそを掴まれて気付いた。この子の名を呼んだのか。
「あのときの子だよ。万華鏡の。ここまでつれてきてくれたんだ。……遊ぶ?」
「趣味の悪い名前だ」
clam。だんまりを決め込むその子には、似合いの名なのかもしれないが。
「そうとしか呼びようがないじゃないか」
「ああ、メクラとロウよりはまだましかも知れんな」
名前など、そんなものでかまわない。わたしは一個の存在でなくともいい。
もっていた石鹸液も、クラムに手渡した。よくはわからないが、意外に喜んでくれたらしい。
ほら、子どもはこういう生産性のない無意味な遊びが好きじゃないか。
「ところで、どうしたの、あんなもの?」
「洗濯の仕事を任されたんだが、思ったより早く終わったからな。そのあまりだ。……飲むなよ、クラム」
「まだ他のものが大量に残っているように見えるけど?」
こう言う場合、通常ならば指差す動作が加わるが、彼は付け足さなかったようだ。
そんなことはわかっている。家事くらい、幼い時分によくやってはいたけれど、盲の自分がまさかこんなに下手になっているとは思わなかった。
「それこそ他の誰かに任せてしまえばよかろう。わたしは他のことでも手伝うさ」
パチンと響くかすかな音に、クラムがまだシャボン玉で遊んでいるのがわかる。つまりはあれがわたしの今日の仕事の成果だ。
しょせん、わたしたちの達成することなど
石鹸の泡
と大差のないものだ