031.恋に落ちる
――だから、わたしはわたしがおそろしい。
なんだろう。わたしはそんなものを落とした記憶はないし、何かを売ろうとするなら声を掛けてもいいものなのだが。
ずいぶんと小さい子どもだ。多分……男の子。
手には、何か長細いものを携えているだろうか。
そんな子が、わたしの服のすそを引っ張っている。
「どうした……?」
一応、そちらのほうを向いて声を掛けてみるが、反応はない。
「スーラの子じゃない? 服装がそんな感じだし、肌も浅黒だ。ええと、これは……万華鏡だね」
大振りな動作で多分うなずいている。なるほどそれでか。
「えっと……ああ、売りたいの?」
手を、突き出したのか?
そう思ったところで、ロウがわたしに『それ』を手渡した。指先でたどって確認する。細長い三角柱。片側に、覗き穴。一番単純なつくりの万華鏡。大粒の色砂でも入っているのだろう。あれもスーラの特産だ、ドゥラを描くのにも使う。
「すまんが、だったらわたしには不用だ」
それをその子に返そうとして、わたしの指先に痛みがはしる。
「ああ、そうか、鏡が入っているんだったな」
どうやらそれで手を切ってしまったようだ。
「こら。ちゃんと謝りなさい」
ロウはしかるが……なに、大したことはない。
「大丈夫、たいした傷ではない。舐めておけば治る」
ぺろ、とそのまま指先を口元にもっていく。彼のことだ、きっとあきれたような顔でわたしを見てでもいるんだろう。
けれど、ロウにうながされても、その子はなかなかその動作をしようとはしない。むしろ……戸惑っている?
なんだろう。その子は首元を触ったような気がするのだがよくわからない。
そうだ、さっきから一言も声を発しない。
「こら。どうしたの?」
「だから、わたしはかまわない。……おまえ、名前は?」
故郷の話を……少し、聞きたくなった。
そういえば、彼の故郷の話はろくに聞いたことがないけれど、などとどうでもいいことを思い出す。
「自分の名前。わからない?」
ロウはそう、口に出してたずねる。どうせ、自分にはろくに聞こえてないくせに、しっかりと発音することを心がけて。
手振りでさえも大げさだった。それでも、細かい部分が読み取れないのが悔しい。
少年も手ぶりで答えたようだけど、その動きを完全に模写し切れなかったし、その指し示す意味を知らない。
……なんだろう。風の音が嫌に耳に付く。
「何か色々と『話し』込んでいたようだな」
だから、それが一段落したと思えるところで、わたしは彼に声を掛けた。
「うん……」
言いよどんでいる。声も少し震えている。どうしたという?
「宿に戻ってから、でもかまわないぞ」
この少年の前では言いたくないのか。不意に思ったそれは、半分ばかり正解で、半分ばかり違っていた。
今のロウの口調はなんだか少し妙だった。これは……もしかして。
「おまえ…。笑って、いるのか?」
何を。何を『話し』た?
「あー…。いったら、多分君は怒ると思うよ?」
「構わん」
「……お似合いだ、って『言って』たんだよ」
つながらなかった。誰が? 何を?
「あの子が。ぼくらのことを」
「な!」
「だから、いったのに……」
当たり前だ。
こんなやつ相手に
恋に落ちる
それほどおそろしいことは無い!