――きっと、不思議な音色で耳慣れない音楽を奏でるんだろう。

 視界の端に入る小さな影。
 彼女は懐かしそうな顔をした。
 見てみれば、土色のぼろきれをまとった老人が、見慣れない楽器を携えている。
 イール弾き。いくつか呼び方はあったはずだけど、そう呼ばれることが多いんじゃなかったっけ。
 そう、たしかこれはもとはスーラ特有の楽器だったはず。
 ボクの見慣れたようなかたちに姿を変える前の原型の姿ってわけか。
 彼女は立ち止まって、その音色に聞きほれているようだった。
 けれど、人々はそれを無視して通り過ぎる。
 あいにくと、このイール弾きの腕前の程はさだかではない。
 絨毯も何もひかず土の上にじかに座って、その老人は楽器を奏でている。
 口がかけてひびが入った、もうおそらく元来の用途では使えないだろう器。
 その中に、小銭を投げていくものもいなくはないが、その顔はえてして、いやしい。
 音色をたのしむよりは、薄汚いと思って早く去ってほしいと思っているようだ。
 ……乞食と同じあつかい。
 ふたたび老人のほうをじっくり見てみる。
 浅黒い肌、緑暗色の瞳。この人もスーラの出身だろうか。
 指の動きは滑らで、けれどさほど激しくもない。技巧はさほど問われない曲なんだろう。
 刻むリズムが特有なものだけには気づけたけれど、肝心のメロディを聞き取るすべはボクにはない。
 きっと、この土地の人々には耳慣れない音楽なんだろう。
 顔は厳かで、何か歌のようなものを歌っているが、ボクにも『ききとる』ことはできなかった。
 この土地の言葉ではないんだろう。
 一瞬、イール弾きの手が止まる。楽章のようなものが途切れたのかもしれない。
 すると彼女は不意に我に返ったように、ボクのほうを向いて、立ち止まってすまなかった、といった。
 イール弾きだね、とボクが語りかけたら、わたしはとても懐かしくて嬉しいが、しかしおまえは何故立ち止まる、と彼女に聞かれた。
 まったく、見えている人間だってそれだけ集中していたらほかのものは見えなくなりがちだというのに。
 しかして、それもそうかもしれない。彼女の『眼』は、ボクの失った『音』からの情報で成り立っている。だとしたら、それを閉じることは不可能。
 なんと返答すべきか、よくわからなくて、ただボクは、その彼女の横顔をなんとなく見ていたかったからかもしれない、といった。
 いい演奏でした、とボクはそのイール弾きに語りかけた。半ば社交辞令だ。けれど、彼女が足を止めるだけの価値があったことには変わりはない。
 反応を示さないことを妙に思ったが、何のことはない、彼はこの土地の言葉を知らないだけだということに気づいた。
 彼女が語りかけると、老人はすこし微笑んで、ふたたび演奏をはじめた。
 けれど、人々はそれを無視して通り過ぎる。
 小銭を投げていくものもいなくはないが、その顔はえてして、いやしい。
 そう、たとえこの老人がどんなすばらしい音楽を奏でていたとしても、彼らにとっては、移民の乞食。
 悲しいけれど、
 エゴと競争心
 は、公共巻と義務感より強いもの。
 でも、ボクらは望んでなどいない。哀れみを受けることも、施しを受けることも。

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