――わたしは、「メクラ」。

「蝶は」
 不意に、彼に語ってみたくなって、きりだしてしまった。
「え?」
 ほら、おもしろい。この、とまどったような声。
「蝶はもぐらではない」
 さらに彼を困惑させるせりふを、わたしは続けた。ただし、発音は明確に、唇のかたちがきれいに動くように。
「何だって?『蝶はもぐらではない』?」
 どうやら一発で『ききとれ』たらしい。そう。
 "A butterfly is not a mole."
 たしかに、ちょっと、ききなれない言葉。
 それでも、意味がとりにくい文を、彼はどうしても聞き返してしまう。
 ただ、これをするのはわたしの前でだけだ。
 彼にたいして、例えばこんな意味深で、哲学的な言葉をかけるのはわたしだけだし、それを懇切丁寧に説明し返そうとする物好きもわたしだけだからだ。
「そうだ。……わたしも意味は知らない」
 師のいった言葉だ。その真意がどこにあったかは知らない。ましてやわたしが光を失う前にかけられた言葉だから、なおのこと。
 彼はその言葉を反芻する。聞こえない耳での独語には、いったいどんな意味があるというのだろう。
「もぐら、か……」
 そう、『もぐら』。A mole。
 そういうからには、童話的なデフォルメされた生き物ではなく。
 盲目の……人から忌まれる害獣。そんなイメージをもたせての発言なのかもしれない。
 そのことを告げると、彼は予想外の発言を述べた。
「逆じゃないかな?」
「逆?」
 いぶかしんで、聞き返す。何が、いいたい。
「盲目の害獣というところで引っかかっているんだろう? けれど、ボクから見れば君はそんなものよりはむしろ、空を自由に飛びまわる、蝶だという気がするけれど」
 すっと、肩の力が抜けてゆくような感じ。
 戒め。鎖。呼び名は何でもよい、それが、不意に、解けた。
 わたしを。わたしをわたしのままでいさせてくれる。
「違う」
 ああ、いけない、うつむいてつぶやくようにいってしまった。たぶん『きこえ』ていない。
 あらためて、うえを向いてはっきりという。
「どちらも違う」
 大丈夫。
 蝶はもぐらではない。
 けれど、わたしは、大空を自由に美しく飛ばなければならない蝶でも、
 土の下で目をつむって自分だけの世界を築こうとするもぐらでもない。
 そして、そのことを残念には思わない。
 それでもわたしは、いちおうひとりの『人間』だから。

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