019.個人という存在の無意味さ
――自然に溶け込んでひとつになる感じ、だと?
こんども海の話だった。
彼は一度、海に沈みゆく夕日を見て……不意に、涙を流したといった。
あいにくと、そのようはわたしには想像もつかない。
わたしは海そのものを見たことがないし――
彼がそんな行動をとったということ事態がいまだに信じがたい。
けれど、それはたしかに嘘をつくときの口調ではなかった。
むしろ、自分よりも偉大で荘厳なものに感銘を受けたときのような話し振りだ。
その壮大さに飲み込まれるように感じて、それは畏怖でありしかし同時に快楽であったといった。
そのときにだけは、自分もまたその海の一部になったのではないかとさえ感じたという。
海の波には音がある。それは形容しがたい安堵感を人間に与えるとだけ彼は言ったが、それ以上は語らなかった。
その様を見たのは、彼の耳がそうなってからのちのことだったのか否かはわからない。
彼は語るだけ語って……けれどわたしにはその光景の一片も想像がつかなかった。
見知らぬものを自分のうちに思い描くのは難しい。けれど、わたしにとってそれはそこまで難しくはない作業のはずだった。
厳密には見えていないものを、自分の中に見える画像に描き出す。そんな作業はいつだって行っている。
それでも、それはわたしにはこれっぽっちもわからなかった。
海というものを見てみたいと、よりつよく思ったのも。
けれど、それはとても恐ろしいものなのではないかと思ったのも、たしかそのときのことだった。
砂の海、と形容されるものを見慣れてきたけれど、わたしは海そのものを知らない。
自然の中に溶け込むようなその感覚を味わったこともない。
自分がなんとちっぽけな存在なのだろうとそのとき感じたとも言っていた。
それについては、スーラにいたときにだって感じたことはなくもない。けれど、
個人という存在の無意味さ、
それを脅威とともに感じることはあっても、安堵とともに感じたことなどない。