――であったころの話をしてみよう。

 彼の第一印象はひどく悪かった。
「盲にございます……そこをおどきはいただけますまいか?」
 なるべく丁寧な言葉遣いで。内容は懇願するように。
 すこし悲愴さを帯びていたり、引け目を帯びていたような発言をしてやると、なおよいことが多々。
 とにかくわたしは、わたしの前の道をふさぐものに対して、そう言った。
 足音が近くなる。どちらかがどかないと、ぶつかる。
 退くべきか? いや、声もかけたしたぶん大丈夫。
 が、その予想は見事に裏切られる。あっさりぶつかってしまった。どう考えても、見えるだろうし聞こえる距離なのに。
「危ないな……ちゃんと前見て歩こうよ」
 ――そのセリフ、そっくりそのままおまえに返す。
 そんなことを言いそうになってすんでで飲み込んだ。
「まあ、考え事しててボーっとしてたボクも悪かったけどさ」
 このときしていたわたしの格好は、今のものよりもうすこし、わたしの故郷の装いに忠実なものだった。
 つまり――口元をも布で覆う。砂を吸い込まないためにだ。
「だからきちんと声をかけたではないか!!」
 当然、このときにわたしが怒って、叫ぶように言ったことが彼に「きこえ」たはずもないのだが、わたしはそのとき、彼が『ロウ』であったことを知らない。  それでも彼は、おや、と思ったらしい。
 どうしたって、わたしの目の焦点は合わない。
「浅黒の肌に赤い瞳……。独特のまきかたの覆い布……」
 ああそう、べつにどう見られても構わない。どうせわたしには見えてない。そう、わたしはスーラの出身だ。
 だが、彼はさらにわたしをたぶんじっと見て……そう続ける。
「白杖……。めくら?」
 そして、ひとつの結論に達した。盲が使う杖は、足萎えの使うものとは意味合いが違う。
 地に支えを作るためでなく、そこに何があるかを確認するための、手の延長。
 きりだす樹が違うから、盲の杖は白く見える。
「だからそうだとはじめから言っている」
 思わず、覆い布をとって、叫ぶように言った。
「おまえほど無礼な奴に会ったのは初めてだ!!」
 今となってはバカらしいことなんだけど、そのとき思わずわたしはダガーを引き抜いた。
 見えていない。見えていないけれど、たぶん、さほど難しくはない。
 脅しのために、すこし相手の前髪をきってやるつもりだった。
 けれど、予想に反して、響いたのはキィン、という鋭い金属音。
 そう言えばそのとき彼が使ったものがなんだったのかを知らない。たぶん、音からして金属製の長い棒状のもの。
 あの状況で彼がもっていたとなったら、それはなんだろう。しいて言うなら定規が近かったけれど、そんなものを持ち歩いてるとも思えないし。
 こんど、聞いてみよう。覚えていたら、だけど。
 とにかく、彼は、そんなものを使ってわたしの刃を止めた。
「わ、ちょっと、危ないってば」
 そう、ほんとうに、驚いた。見えていないと言えども、わたしの剣を止めるとは、なかなかの腕前ではないか。 
「ごめんよ、そうと知らずに、きっと不躾な行動を君に対してとってしまったであろうことは謝るよ」
 おかしい。何か、会話がかみ合わない。
 何かが……何かが、違うんだ。
 わたしはそこで、やっと気づいた。
「ボクは聾なんだ、耳が聞こえない」
「なん……だと?」
「気づかなかったことについては謝るよ、きちんと見てればわかったことだし」
 もちろん驚いた。なんと声をかけて言いかわからなくて――
 声をかけることが無駄だとはたと気づいた。
「ああ大丈夫。その状態でなら『きこえ』るよ」
 そうだ、このときから彼はこうだったんだ。いやなくらい、人の心理をその表情の変化から読み取る。
 わたしには、わたしが今どんな顔をしたかもわからないのに。
 いや――ああ、どのみち、盲でなくても自分の顔は、真実の顔は見えないものか。鏡に映った像しか見えないんだから。
「聾がなんで君と会話できるかって? 唇の動きを見てるんだよ。だから、どのみち覆い布をしているままの君の『声』はボクには『きこえ』ないわけだけどね」
「その……。すまなかった」
「べつにいいよ、こっちにも非はないわけでないし。どこかへ急ぐ?」
「いや、とくにはあてのない旅をしている。しいて言うなら、南のほうに向かっているといった程度だ」
 唇の動きを読む、といっていたので、ならばそのほうがよいだろう、と思い、なるべく手本に忠実な発音を心がける。
「ああ、ボクもちょうど、そんな感じ。紅茶は好き? このあたりはけっこうおいしいんだ、お詫び代わりにおごるよ」
 結局、彼に誘われるがままに、なんとなく一緒に旅を続けて――
 そして、現在にいたる。
 わたしは、どうもわたしのことがよくわからない。
 たしかに初めはあんないやな奴と思っていたのに。
 なのに……。そう、そして……理想の楽園というものをたぶん今はともに探している。
 『そこ』にたどり着けるようになるころにはわたしはわかっているのか、それともそこにはわたしでさえも賢人になれるような何かがあるかもしれない。
 けれどもやはり、わたしはどうもわたしのことがよくわからない。
 でも、その間、この旅を続けられることはたしか。それはよくわかる。
 ならばわたしはいまだこの、
 暗闇の中を望む。

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