005.自然について、人間について
――どっちも理解できなくても、構わないんだけどね。
「あ」
思わず、声を上げた。そこには何も、意味などないのに。
それとも……大きな声を出すというその行為自体が、意味があるんだろうか?
それはいえるのかもしれない。神経に何らかの刺激がとおりはするだろうから。もっとも、ボクの場合はその後の、発した言葉が耳にはいって、認識されるというその仕組みがいくらか壊れているから、そこまで役に立つ行為なのかどうかは不明だけど。
けれど、からだ中を走る激痛を想定して、身構えたその瞬間、疑問と感嘆とが浮かんだ。
「なにをしている」
冷ややかに。たぶん、そんなふうに彼女は問いかけた。
掌に燐光が光っている。……ああ、そういうことか。急速に、諒解する。
まあ、ひとことで言えば、ボクがうっかり階段から落ちそうになった。というか、落ちた。
この場合……どう表現すべきなんだろう?
ああ、そうか、その階段から落ちて、その結果、怪我をするという当然とも言える仮説がそもそも邪魔しているわけか。
だからその仮説を切り捨てた上でなら、それを肯定してもいい。
「すごいね、魔法だ」
立ち上がりながら、言う。服のホコリをはらう動作も一応は加えたけれど、幸いにしてそれも無駄だったみたいだ。
「それがどうした」
一瞥する、目線。いや、この場合この表現は不適切。だって、その焦点は定まっていない。
「一般人には珍しいんだよ。不馴れだから、こう言うの」
魔法や剣術の話をするときの彼女は、いつもよりちょっとだけ、冷たい。
まあ、もともと伝導率の高い人なんだけど。
きっと……それだけの術を手に入れたからにはそれなりの犠牲をはらっているからだろうとは思うのだけど。
「風をすこし操っただけだ。それ以上に、何をどうしたという解説をしろといわれるとつらいがな」
侮蔑するのに似ている。
それでも、すごいなぁ、とただただボクは感心する。感心するんだけど、そこでふと思う。
「けれど、前は火の術を操っていなかった?」
たしか、属性がなければ術は使えない。ボクのつたない知識に頼るなら、そのはずだ。
それは、その人固有のもので、ボクみたいに何にも持ち合わせてない人も多い。
「ああ、それも使える」
つまりは、属性をふたつもっているってことか。
「すごいね」
「もっと高位の術者は四大元素すべて操れるものもいるぞ。あるいは、もっと特殊な属性を操ったりもする」
火と、風と。
砂漠において、それを扱うことはどれだけ貴重で、どれだけ危険だろう。
彼女はそれまで、それを使いこなしてきた。
「見事としか言いようがないね……」
自分にもっていないものを嫉妬するほど、ボクはもう、子どもじゃない。
むしろ、そう、言っては何だけど憧憬に近いかもしれない。
けれど……彼女はむしろさびしそうな顔をした。
「どうかな……。そんなに役に立つものでもないし」
たしかに。
そうはいっても、たぶん魔法なんて、そのうちなくなる。
ただでさえ属性がなければ使えないのに、属性をもつ人間がどんどん減っているし、属性をもっていたとしても扱い方を知らなければ使えない。扱い方を教えられるものがまた少ない。学問としての体系がそもそも整っていない。
それでも、素直に感心してしまう。
「そうかな? これほどのことを己の能力だけを道具に出来たらすごいことだと思うけど」
だから、そういったのだけど、彼女の表情はうつむき加減でさびしそうだ。おかげで、少々ばかり唇の動きが読み取りづらい。
「汽車にも爆弾にも負ける。滅びゆく運命にあるのかもしれない、この技は」
それも……そのとおりだ。科学技術の進歩はめざましいから、きっと飲み込まれる。
いや、魔法という学問を飲み込むだけの力を現在の科学は持ち合わせていない。もしもふたたび魔法が、科学の力を借りて復活するとして……それは、どれだけ遠い未来になってしまうだろう?
まあ、現在の化学は錬金術から発展したとも言えるし、魔法陣を描く技術と幾何に全く関連性がないわけでもないから、一概に切り捨てられたものでもないけれど。
だから、思い切ってきりだしてみることにした。
「魔法は、自然の力を利用するけれど、自然とは対立するもの?」
そう、ちょっとだけ、疑問に思っていた。とくに昨今の科学技術は、自然から搾取するようなものだけど、魔法はどうなんだろう? 長い歴史を保ってきた以上は、調和は取れているんだと思っていたけれど、考えてみればけっこう不思議に思ってた。
「考えたこともなかったが……。しいて言うなら、対立する」
沈黙はむしろ短かった。聞かれた時点で、すぐに答えが思いついたのかもしれない。
逆の答えだと思ったから、驚いた。そのことを察したように、彼女が補足する。
「人間が操る技と言う時点ですでに対立している」
答えはとても、明白だった。なるほど、それは十分納得できる。
なんだか余計に感銘を受けてしまって、しばらく返答に迷った。
「何故そんなことを聞く?」
すると、いぶかしむように彼女が問いかける。すこし眉根が寄っている。
まあ、たしかに、こういう風に質問を投げかけるのはむしろ彼女の行うパターンの行動だ。
「なんだろうね、こんな技を見せてもらってしまったからかな。不意に考えたくなったんだ」
実際、そうなのだから仕方ない。不意に、そう、思ってしまったんだ。
「何を?」
「自然について、人間について」
あらゆる感覚を作った自然と、それを受け取る能力を持ってしまった人間についてを。
いや、考えることはたやすい。討論することもまた然り。
むしろ、理解してみたくなった。
それは――
元から対立するものだったのだろうか? そもそも共存なんてできていなかったのだろうか?
結局、人間の数が多すぎるという、そのことに尽きるんだろうけど。
「ばかばかしい」
彼女には、冷たくあしらわれた。たぶん、そんな冷ややかな口調で。
どっちも、理解しづらい。とくに後者についてが。これって、努力すべきことなんだろうか? それとも、保留しといたほうがいいものなんだろうか。でも、まあ、
自然について、人間について
ちょっとだけ考えてみようかとも、そう思う。