子供という幻想

 こども、子どもというが
 なんのことはない
 あなたもそしてわたしも
 かつてはあちらにいたのだし

 あちらにいるものたちだって
 いずれはこちらにやってくる
 そしてきっと
 「イマドキの子どもはわからない」とか
 また言い出すのだ

 お年寄りというが
 あなたもわたしも
 いずれはそこに行くものだ
 「ああはなりたくない」とまで
 言っているその姿になって

 子どものころはたぶん
 今とは違う感覚でいろんなものが見えていて
 けれど自分が世界に組み込まれていることくらい
 とうの昔に自覚していて

 子どもというくくりの中でとらえられてる
 そんな自覚はあまりなかったように思う

 けれどあのころの視点にかえれるのならば
 わたしはたぶんそれに窮屈さをかんじて
 あの守られた箱庭に窮屈さをかんじて
 けっきょくそれに反抗しようとしてしまいそうだ

 それは例えば人種や国籍や性別で
 わたしがくくられるのにも少し似た感覚

 でもまあ考えてみればあのころは
 子どもという名の職業をする時期だから
 今の視点なら仕方ないか、とも思うかなぁ

 ま、しょせんこれも
 子どもを産んだことも育てたこともなければ
 共に生活をしたこともない
 ダメな大人の端くれの戯れ言だ



※急性胃腸炎でもあげでもアージュでもありません、"age"です

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