その日、柳平葉月はとてもとても懐かしい一枚の写真を見つけた。
 普通のお話ではここで回想のシーンに飛んだりするものなのだが、いかんせんそれはとてもとても懐かしいことであると同時に、とてもとてもおいしいネタではあったので、そのふとした回想はまさしく一瞬で駆け抜けてゆき、代わりに彼女の思考はひたすらにこれをどう活用しようか、ということにシフトしていった。
(さて、どう晒しモノにしてやろうか……)
 葉月は写真の中で微笑む、今となっては自分の好みのタイプにさえ見えるかわいらしい子供の写真を見つめながら、葉月はその自分の悪魔的な思考を楽しんでいた。


 葉月は部室で昼食をとる。別段理由はないが、なぜかそれがここ数年のならわしのようだ。まあ、幸いにして特別教室が部室なので広いことと、特別教室棟はクラス棟と独立しているので比較的静かなことについては気に入っているが。
 そんなわけで、昼食時は部員が集まる。幸いにしてここの部員はとっても面白いものが好きだ。ならば、こんな写真をさらせばどこぞの観光地の池に餌をまいたときの鮒や鯉の比ではなく、この撒餌によってくるのは自明の理。
「さて、ここにとてもとても懐かしげな一枚の写真が」
 弁当を出すより先に、おもむろに例のその写真を取り出す。
「何? 七五三かなんかの写真? あっちゅのじゃないんだ?」
 写真を見るなり、隣にいた友人の一人が聞いてくる。あっちゅ、というのが古くからの葉月のあだ名である。は行の発音がなぜか苦手だった葉月は、つまり自分の名をうまく発音することも苦手だった。で、その発音はこんな風だったらしい。子供というものはまったく持って不思議な生き物である。
 写真の中では子供向けの振袖を着た子が、すましてたたずんでいる。微笑んでいるようにも見えるが、少し笑みはぎこちない。そこが少々かわいくも見える。きれいな黒髪の、人形のような、というあののたとえがよく似合う感じである。
「あれ、でもこの顔って……」
 写真をまじまじと見つめていた周りの者たちが、すぐにそこに行き着く。そう、これはいったい誰の写真か、ということに。
「あ、脱走(未遂)者が約一名……」
 見事なまでの連係プレーで阻止されて、望月緋夕はすぐに尋問にかけられた。
「なぜそんな懐かしい写真を……」
 頭を押さえながら、緋夕は問う。
「部屋から偶然出てきた」
 苦悩の緋夕と対照的に葉月はさらりとからりと答える。
「で、何で振袖なわけ?」
 モブからさりげない、基本的な疑問。
「うちになぜかあったせいで母親に着させられたんだよ……」
 男ばかりの兄弟の末っ子に生まれたせいなのか、それともあの人の独自の感性が何かをさせたがるのか、とにかくも緋夕の母はなぜか彼にこの手の格好をさせたがった。さすがにこの振袖を着せられそうになったときはかなり驚いたし抵抗もしたが、結論を言えば数の暴力には逆らえないため挫折した、惨敗の結果なのだ、この写真は。
 苦々しげ〜、な返答を返す緋夕に、助け舟が出た。
「これ捨てれば終わりだろー? こんな古い写真じゃ」
 わきから、そんな冷静な指摘があがった。たしかに言われてみればここで晒しものになっても(それが一番問題があるような気がするが)、現品限りなら焼き増しされる危険性はない。
「あ、ネガは出てこなかったんだけど、今ははデジタルプリントやら何やらでネガがなくても焼き増しできるらしいのでデータ保存をやってきましたが、何か?」
 さらりと葉月が言ってのける。
「俺の弱みを握って何がしたいんだ、お前は?」
「……。おもしろそうだったから?」
 ひとつ間をおいて、の見事な反応だが、この2人の掛け合いはもはや見事な夫婦漫才の域である。
「……これ以上にないだろうな?」
「BBJネタで返していい?」
 とまあ、不毛でさえあるので、緋夕は素直にあきらめた。ここでさらに文句を言おうものならまた見事なネタで返される。
 素直に、過去の屈辱の証拠が己の目の前でさらにものになるのをあきらめた――ところで、事態は急転した。
「ああ、やっぱここにいた」
 がらり、と開いた戸の向こうにいたのは、よく見知った顔、世羅奈々夜。例の双子の片割れは、緋夕と葉月の兼部の部活の後輩である。セットにせずとも十分人目を引くその顔を見つけた瞬間、先日の例の騒ぎを思い出して、緋夕と葉月は少々ばかり鬱になった。が、次の台詞にすぐ現実に引き戻される。
「今日、部長会だよ? 来てないみたいだからさ、どーしたかと思って」
 文科系の部活と体育会系の部活では、その実働層はやはり異なる。奈々夜は水泳部の副部長だか会計だかをしていたはずだから、その関係だろう。
「・・・・・・・」
 緋夕と葉月が一瞬お互い顔を見合わせ、駆け出す。一瞬何かに気づいて、弁当を引っつかんで急ぎだす。見事なまでに息のあった、打ち合わせもしてないのに同時に同じことのできる二人の動作を一同が見つめていた。
 刻限まではあと少し。しっかり出席しておかねば、予算が下りない。予算が下りねば文化祭で泣くのは自分たち。
 そう、この部室の名は物理室。この部活の名は文芸部とイラスト部。緋夕と葉月はその役職の肩書きを持っているのだ。


「ん? これなぁに?」
 奈々夜も二人につき従おうとして、それまで人のたかってた場所の中心を見据える、というか気づいた瞬間歩み寄る。あ、と声が漏れたから、たぶん写真の正体に気づいたのだろう。
 ……逃げ出せたようでいて、さらに事態が悪化したことに緋夕が気づくのは、これから後のことである。
「これ、もらっていくね♪」
 にっこりとした笑みで、奈々夜は周りに問いかけた。


    ――――終わっていいんだろうか?


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