Sardonic Fate
―――DISTORTION―――
誰かが謂ってた。
『創りあげることは素晴らしい』って。
けど、それは本当のこと?
人間は自分の住処(を『創る』為だけに、
他のものを簡単に傷つけてしまうのに。
もしも一般人(の言うことが『常識』だって謂うのなら、
多分ボクは狂ってしまっているんだろう、
この手もいつかは朱く染まってしまうんだろう。
「――Sardonic Fate 」
『現実』なんていう恐ろしく残酷なものを、
この瞳で見なきゃならない羽目になるんだったら……
「――DISTORTION」
いっそ、この眼をえぐり出してしまえばよかった。
全く以て此の世の中というヤツは、
下らない、つまらない。
「ルー……ク……」
聞こえる。
―――聴こえる。
遠くから。
近くから。
『自分』を呼ぶ声が。
『自分』の中の、一番深い場所から。
「ルーク=アッシュネクスト!」
呼ばれた。
叫ばれた。
ルーク=アッシュネクスト。
自分の名だ。
確かに、小さい頃から呼ばれ続けて来た自分の名だ。
今まで自分の生きてきた中で、もはや此の名で呼ばれてきた時間のほうが既に長い……
「……いい度胸だ。よりにもよって俺の授業で寝るとはな」
いきなり、顔を覗き込まれ。
そして棄て台詞ですらあるように呟かれる。
「別に寝ていたわけじゃないですけど」
釈明に意味がない事くらい知っている。
「だったら、版書の問題でも解いてみやがれ」
どうも、此の教師は好きになれない。決して悪い人間では無さそうとは謂え。教師としてなんとまあ乱暴な言葉遣いだろう。しかし、それより何より信じられないのは――
敢えて思考を一旦途切れさせ。
素直に立ち上がり前へと向かう。正直な話を言えば。恐い。あの黒い瞳が。まるで、自分の内にあるこの『秘密』すら知られてしまっているようで。
溜息を、一つ。
黒板にはおよそ魔術とは関係あるようにも思えない幾何の問題がびっしりと並べ詰められていた。
魔術師協会と系列の学校が同一の敷地内にあるケースは多い。早期教育と人材発掘の面において非常に効率的だからだ。
此処も、そう謂った形態を取っていた。
「……ほんとに女なんですか? あのひと」
いつものように受付に向かい。
ルークは其処に鎮座するシオンに問い掛けた。
判ってはいる筈なのだが……それはどうしてもやりきれない疑問だったからだ。それとも、ただ単にあの全てを見透かされてでもいる様な隻眼の漆黒の瞳が恐いだけ、なのか――
「確かに性格は少し乱暴かもね。ある意味で不器用なだけなんだけど」
そんなルークをお構いなしに。
つらつらと、シオンは言葉を並べ立てた。
東方ならば兎も角、女性でシオンと言う名は結構珍しい。一発で覚えた。大きな瞳と、其れを縁取る長い睫毛。傾斜の緩やかな細い眉。背は決して高くない。寧ろ低い方だ。どちらかと謂えば綺麗と言うよりは可愛い顔立ちに属するだろう。
ややえらの張った丸い顔の輪郭が余計にそう見えさせる。瞳は海と言うよりは空の深い色によく似ていて、髪は明るめの茶色。行く筋か混じった金の髪が美しい。
「あ……それで要請って」
学費免除。
境遇にもよるのかもしれないが。
ルークにとって、これはかなりに魅力的な言葉だった。
換わりに与えられたのが、協会からの仕事。
だがこれも、裏を返せばある意味で正式な魔術士と認められた、と言う事でもあるわけだから考え様によってはかなりに喜ばしい事なのかもしれない。
「どんな依頼だと思う――?」
どちらかといえば、悪戯心に満ちた瞳だ。
「聴いてみないと、わかりませんよ」
「『ヴァンパイア退治』。馬鹿みたいでしょ?」
矢張り、或は悪魔にさえ見える、無邪気な天使にも似た瞳で。シオンはルークの事を覗き込んだ。が。
「え――?」
問いかけ、それ自体には意味は無い。
自問にすら、近いのだから。
すうっと。顔から血の気がひいてゆくのがわかる。
(バレ、た……?)
そんな筈は無い。
でも、もしかしたら――
心の内で、葛藤が続いた。
「どうして……こんなに皮肉なんだろーな、運命って……」
少し、疲れたように。
吐息交じりに、彼は呟く。
「仕方ない、さ……どうせ俺たちは――」
でも、返ってきたのは、その、答え。
「『運命に見放された存在』?」
苦笑い。
「……運命に玩ばれてる存在」
今度は少し、悪戯っぽい眼。
「祝福、なんて無いんだろな、どうせ……」
矢張り、溜息にも似た吐息交じりに。
彼は、ふっと呟いた。
ヴァンパイア――吸血種、と謂う種族がけして居ない訳ではない。ただ、真にそう呼べるものの絶対数は少ない。
報告事例の大半は、見間違いやら勘違いやらである。
まあ一応は魔術師協会からの要請ではあるわけだし、ガセネタという事は無いだろう。
吸血鬼、と謂うのは妖魔としては、さほど強力な方ではないのかもしれない。
だが――充分に。人間にとっては脅威とすらなりえる存在である事も、また確かだ。
「噂が流れている事自体は、一応知っていたけど……」
小さく、呟く。
素直に。もう少ししっかり検証してみるべきだったのだ。
わかったのに、自分なら。
一回限りの。短い、溜息。
十三歳とは、とても思えない表情。
逃れる事など。どうせ無理だ。
これは、『運命』、いや、其れよりももっと過酷な――
必然であり、絶対なのだから。
身支度自体は、さして時間はかからない。
手首まである黒色の手袋は、しかし冬には寒いくらいの薄手の物。指先の感覚が鈍らないようにするため、仕方が無い。と言っても、今はもう手袋をするような季節では無いが。
肌を露出させない。肌と服の間に、隙間を作る事もまた避ける。
春先と謂う季節を無視した、厚手のコートを羽織る。当然のように、色は夜に紛れる黒。
肩や首を掴まれない用心の、棘の付いたチョーカーとショルダー・ガードを身に付ける。
首から、銀の十字架を下げ。
右耳に、無意味に大きい銀の十字架の付いたピアスを付け。
じっと。
完全武装した自分の全身像を姿見に映し、覗き込む。
肌の露出は、一切、無い。
防具の付け位置、武器の隠し位置も問題なし、だ。
最後の仕上げに。
儀式ですらあるように。
学友――と言った所で自分に友と呼べる者など一人も居ないが――には、決して見せた事の無い表情を浮かべる。
少しだけ。
笑みに近い。
これが自分。
真の自分。
――強い、自分。
けれど、同時に決して誰かに見せてはいけない自分。
自信に満ちてすら居るように見えるその表情は。
嘲笑うしかない運命への悲痛な思いが、滲み出て来ているようにも見える。
足に履くブーツと同じく底に鉄骨を仕込んでいる為に、唯でさえ重い荷物は更に重い。しかし、それは『此の仕事』に決して欠かせないもの、慣れてしまえばどうと言う事は無い。
左手には、クロス・ロッド。
銀の合金ではあるが、強度を上げる為に混合率は低い。
杭のように尖らせた其の先端も、戦闘時に『武器』として扱う事を意識して、だ。
扉は、そっと開ける。
施設育ちの夜型人間には慣れた動作だ。
夜気は、何とも謂えず快い。
幾度浴びても、つい、深呼吸をしたくなる。
少しだけ。
誓うように、晴れた、そして新月のため数え切れないほど星の輝く夜空を見上げて。
ルークは歩き出した。
寧ろ、意識していたのは。
ヴァンパイア・ハンター、と言う自分のもう一つの職業名。
宵闇の中を歩いていると、どうしても自分の髪の色が気になって仕方ない。ルークの髪は淡い金色で、双眸はエメラルドに近しい緑である。商業柄血族柄、夜目はかなりに利く。
その分、自分が此の闇の中に浮いてる気がしてならないのだ。
幾筋か。自分の髪を掴んで。
「まぁいいか……一応気に入ってはいるし」
結局こうやって髪を染めないでいるのも、これが父親と同じ色の髪だと思えばこそだろうか。
再び。
服装と、動きと、気配とを夜に紛らわせ。
星明りに反射する、妖しげな銀の光を纏いながらルークは再び歩みを進めた。
旧い遺跡が、此の街の近くにある。
とは言え、人の手は全くと謂って良いほどに加えられていない。
そして、数日前から此処に近付いて行方不明になるものが出ていた。全員が外部からのもの達な上に、裏のありそうな、つまりは、盗掘を目的としていそうな者ではその真相を確かめようというものなど一人もいない。
それは神聖なものであり、同時に畏怖の対象でもあるから、地元のものは街から外れた場所に位置する其処に滅多に近付かない。
ただ……何故、ヴァンパイアでなくてはいけないのか。それがルークには微妙に気にはなっていた。それとも、或は……
ひとつ、ふたつ。
疲れたようにすら見える表情で歩みを進めるうちに。
恐らく其処のいる筈のない人影を見かけた。
「待って―― !」
思わず。呼び止める。
そして、びくりとして走り去って逃げようしたそれも結局とまる。
それは、恐らくこんな場所には居る筈も無かろう少女だった。緩くウェーブの掛った金の髪に、青い瞳をした少女。
「どうしたの? 迷子にでもなった?」
小さい子どもの扱いならば、得意である。膝を折り、穏やかな表情で、ルークは彼女に言葉をかけた。明け方まであと数刻、なんてこんな時間帯にありえる筈も無い事を。
「おにいちゃん、だれ……?」
けれど、その少女の言葉に。一旦、長い溜息を付いてからふとルークは呟いた。
「……やめた。あなたが無茶をしているのか否か、それば僕にはわかりかねるけど……兎も角、此のお芝居は互いにやめましょうよ? 下らない猿芝居だ、こんなんじゃ」
くすり、と。その少女が笑う。少女らしからぬ子どもらしからぬ、いや、それ以前に『人間』らしからぬ表情。
そして。ルークが口を開く。笑みすら、見せて。
「……『クロスマスター』。ルーク=クロスマスター。其れが、『本当の』僕の名前」
びくり、と。
少女が身を震わす。
いや、彼女を『少女』と呼ぶべきではないのだろう。
此の名にそう反応した以上は。
「クロスマスター!? お前がクロスマスターだというのか! だって、其の身には――」
少女らしからぬ口調で。彼女は、叫んだ。
クロスマスター、といえば有名なヴァンパイア・ハンターの家系の名だ。
しかし、其れは兎も角として――
「……確かに。この半身に流れる血はあなたと同じ種族のもの。そして、だかろこそ僕の母は追放された」
年齢を、感じさせない口調。
其処にどう謂った経緯があったのかを、自分は知らない。
ただ、自分と言う名の存在と言う『結果』と。そして、そしてこの身それ自身が覚えている――
「……ごめん、ね……」
瞬間。銀の耀きが閃く。
緑の筈のその双眸が、血の様に紅く輝く。
クロスロッドは、確かにその者の心臓を貫いていた。
此の遺跡に住み着いていた、ヴァンパイアを。恐らく、此処に迷い込みでもしてしまったのであろう、少女の血を啜り、その姿すら奪った、『怪物』を。
……僕は、こうしてなくちゃいけない。
こうしてなくちゃ、生きられない。
――アナタニデキルノハ、タダソレダケナノダカラ……
ざらつく。いらつく様に、耳の奥がざらつく。
……同族なのに。
此の半身に流れるのと同じ血を引いた種族だというのに。
けれど、自分はそれを殺す為、殺しつづける為だけに――生まれた、存在。
自分が知っているのは。自分が真に知っているのは或は。この種族の滅ぼし方、ただそれだけ。
――アナタニノコサレタミチナドナイノダカラ……
異質なものだ。どうしようもなく、異質のものだ。
けれど、思い起こされる血に混じったその匂いは甘く。
確かに、母親のものだ。
――ソウ、コウイウフウニ、アナタハイキレバイイ……
思い出したくない。
もう何も。思い出したくなどない。
――アタシノヨウニアイツラヲ殺セバイイ……
何より。どう足掻いても忘れることなど出来ない、あの時の母親の顔を。
「雪……こんな季節外れに……」
ふと。気付いて呟く。
今はもう、うすくれないの花の舞い散る季節だと言うのに。
こうやって。
血に染まった自分すら、覆い隠してしまいそうなほど――静かに。
その雪は、降り注いでいた。
少しばかり、哀しみにも似た感情すら見せながら。
ルークはただ、その空を見上げていた。
……血の涙を、流しながら。
「雪……? 此れが、雪……。生まれて始めて見た……けど、こんな季節外れに……」
空を見上げ。彼は、呟いた。
けれど……
「けれど……哀しい色をしているな……」
心の中で想った事が、相棒の答えとして返ってくる。
其処には雪が。
血に染まった紅い大地を覆い隠すように、純白の雪が。
そっと。
哀しみすら、消してしまえと。
静かに、降り注いでいた。
END